意思の継続
私の意思は弱い。
気持ちが萎えたり、興味の先が変わったり、ダメだったらもうだめって思ったりして。
日常の中で「ある意思」を持ち続けるには、それなりの覚悟や強い希望や理由、責任の様な何か定義が必要だと私は感じる。
実際、意思が強いとは言えない私は相反して何かに没頭したいと常に思っている。それは日常に居る自分があまりにも平凡だからなのか、よくいう生きる意味というのを求めているのか、心を正常に保つためなのか、理由は分からない。
「ある意思」を持ち続けられる様、私は無意識に「そうせざるを得ない環境」に身を置くことが多い。決めたことは周りに言った方がいいのと同じ感覚。
逃げられない環境の中で始めは「〜しなきゃ」という意識だったのに、だんだんとそれが自分の義務の様に感じ、そしてその先には生活の一部になる。当たり前、というか意識の習慣化をする。
そうすることによって、「ある意思」を貫くことになり、周りにもそう見えるのかもしれない。
実際は、意思が弱いし不器用だと思っているからこれは自己分析の結果である。
幸い、勇気はある様でその世界に飛び込むことはできている。発言をしないと気づいてもらえないことを知っているし、環境が変わることも怖いのは最初だけ。
そんな生活をしていたら気づかないうちに疲れてしまいそうだけど、自分なりに自分をどう動かすかを考えた結果、そうなった。
損したことはない。
失敗しても、うまくできなくても、やってて良かったと思うことが山ほどある。
大人になったなと思うけど、まだまだこれから先、もっと大人になって背負うものや大事なものができた時はまた私が変化して成長するチャンスなのかもしれない。
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