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相手の"大切"を守る


毎回テーマはこちらの記事から


今日のテーマとして決めたものの、今まで以上にアバウト…
今回私が言いたい"大切"は作業(活動)についてです。
朝起きてから夜寝るまでどれだけの作業をしていますか?

改めて聞かれても分からないほどたくさんの作業を、ときには同時並行で行っていることもあるでしょう。

でも当然のことながら作業の種類や量、形態、作業遂行の結果も…その時々の文脈によって大きく変化しますよね。

わたしが独身のころ何よりも大切にしていた
「毎晩Youtubeみながら寝落ちするまでの晩酌」「週5ジャザサイズ」「冬場のつれってってもらうときだけ行くスノボ」
あんなに好きで大切にしていた作業、いまはどれもしていません。
(うそです。晩酌はしてます。たまに…)

自分が選択したのか、必然として重要度が変化したのか。
環境によって作業選択は大きく変わるし、価値や興味もかわっていく。

だからこそ、いまその位置での大切な作業って何だろう
って考える必要があると思うんです。

「自分が休みの日はひとりでゆっくりお風呂に入りたい」
「朝起きたら10分ストレッチしたい」
「休みの前の日はお酒が飲みたい」
「料理している間は好きな音楽を聴きたい」

パット見どうです?「贅沢な悩み」でしょうか
これ、独身だったらなんの努力もなく叶いそうじゃないですか

でも今の私がこれらをかなえることすら難しい

休みの日にお風呂に入るためにはその時間こどもと遊んでおいてもらわないといけない
朝のストレッチは子どもが起きてたらもれなくジャンピングボディプレス
休みの前の日の飲酒は夜泣きにさえぎられ
料理中は音読の宿題、けんかの仲裁…

ああ、なんて難しいんでしょう

だからこそ、この作業を守るためにはパートナーの協力が不可欠なわけです
休みの日は子どもを30分遊びに連れ出し
朝はこどもの着替えをしてもらい
夜泣き対応は交互に(こどもが許してくれれば)
料理中こちらに気がいかないような配慮…

でもここらへんって私が“大切“にしてるって知らなかったら
容易になかったことにされてしまう作業だと思いませんか。
私たちが大切にしたい事って案外そんな些細なことだったりするんです。
些細なことだからこそあえては言わないし
些細なことだからこそできなくても「しかたない」と思われてしまう

でもそうした些細なことの積み重ねが小さなしこりとなって
小さなしこりがやがて大きく成長してしまう

小さなうちに解決できることはしておいた方が良いともいませんか。

そのためには、相手が作業にどんな意味を持ち日々を生活しているのか
相手がどのような作業に価値を置いているのか、
やはり興味を持つことが大切だと思います。




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