助成金では続かない【まいまい京都history③】

事業が組織をつくっていく

茶谷さんの本は何冊か読んだ。最初に読んだのは『​​まち歩きが観光を変える―長崎さるく博プロデューサー・ノート』だ。これは面白い、と惹き込まれた。可能性を感じた。ただ、これは民間でやった方がいい。そうでなければ続かない、とも思った。

まず、組織的な問題がある。まちづくり系の事業ではよく、イニシャルコストのかかる立ち上げ時に公金を投入して組織や枠組みをつくって事業を離陸させ、あとは行政が手を引いて民間に任せる──いわゆる自走化計画の図式がまことしやかに語られる。

だが私に言わせれば、そんなことはありえない。叶わない夢物語だ。公金を投入して始めた事業は、どうしても高コスト体質となるし、予算が終わればほとんどが終わる。税金で行うことにつきまとう非合理さから、どうしても抜け出せない。長年繰り返されてきた失敗のパターンである。

そうではなく、まずはイチから事業を始めるべきなのだ。本当にイチから始めると、「その時に入ったものが収入」というシンプルな図式が成立する。そのうえで、事業が大きくなるのにあわせて組織が大きくなっていく。それが健全だ。組織をつくって事業を始めるのではなく、事業が組織をつくっていくのだ。

誰のためのまち歩きか

次に、これがより重要なのだが、誰のためにその事業を実施するのか、という問題。事業というものは、やはりお金を出す人のために遂行される。税金・公金であっても例外ではない。いや、税金こそ、使途や目的や効果が厳しく問われる。説明責任もある。市民の血税をどのように使い、それによってどのような結果が得られたか。参加費収入によらない公金事業の場合、行政の担当者やその上長、部長や局長や市長、あるいは顔のない「市民」を相手にしてしまう。目的があいまいになり、誰のためを考えるべきかが、わからなくなっていく。

さらに、市民がガイドになるという事業の特性上、事業提供者であるはずのガイドが同時にお客さんでもあるという構造ができてしまう。変に気を遣わなければならなくなる。そうなると、公平性だったり平等性だったり機会均等だったりと、まち歩きガイドの本質を離れたところでの忖度が動き始める。これでは面白いまち歩きになりようがない。このあたりは、茶谷さんの著書でも問題意識として書かれていることだ。

参加費収入で続けられる事業にする

思想的なことを考えると、税金や助成金に頼らず、民間でイチからやる方がいい。「長崎さるく」が有料に舵を切ったことの意味は大きいが、500円という参加費設定はやはり安すぎた。「大阪あそ歩」はその倍の1,000円を設定していたが、それではまだ成り立たない。まいまい京都は今、参加費を3,500円からとしている。

まずは持続させていくこと。参加費収入で成立させること。だからこそ、他の誰のためでもなく、とにかく参加者さんのためにやっていくこと。まだいろんなことがおぼろげな中、最初からそこは変わっていない。ある意味、まいまい京都の原点となる考え方が、この時点ですでに生まれていた。

(つづく)

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