「誇りと稼ぎ」が社会を豊かにする【まいまい京都のめざすもの④】
デフレマインドが未来を潰す
こんな話がある。あるまちに、安くておいしい蕎麦屋さんがあった。値段は昔から変わらず、かけそば1杯380円。お店の主人は頑なに値上げをしない。奥さんとふたり、家賃のかからない持ち家で、経費を最小限にしてつつましく働いてきた。まちで長年愛された店だ。しかし、子どもに継がせるつもりはないようだ。息子は都会でサラリーマンをしているらしい。その店は一代で閉じることになる――。
この手のことは、ごまんとある。昔ながらのおまんじゅう屋でも、金物屋、農家だってそうだろう。
一切の値上げをせず、お客さんに尽くす。商売っ気のない職人気質が、美談として語られる。しかし、私はその語りに違和感がある。そのお蕎麦屋さんは、まちにはなくてはならないものだったのだ。お店をつぶすことは、まちのためにならない。「お客さんのためを思って」と値段を据え置くことが、社会の未来を損なう可能性に目を向けたほうがよいと思っている。
「現状維持」は長期的な正解ではない
私たちは「まち歩き」を事業として行っている。まち歩きでビジネスが成立している事業者は、日本に数えるほどしかいない。もともと、ボランタリーなまち歩きツアーが多かった日本では、ツアーの参加費も「安いほうがいい」と考える向きもある。
でも、ほんとうにそうなのだろうか。事業は、ただの金儲けではない。生活者のなんらかの課題を解決し、人生を豊かにしていくサービスだ。公共的な役割がある。経営者には、その事業を継続させていく責任がある。そう考えると、未来を考えた投資ができないほどの安い価格設定は、正解とはいえないだろう。
「誇りと稼ぎ」が社会を豊かにする
跡継ぎが見つからなくて廃業してしまうケースが後を絶たない。その仕事を担いたい若手が出てきても、「食っていけない」という現実的な理由で断念せざるを得ないケースも多い。
一方でこんな話も聞いた。とある職人の息子は、小学校で親の職業を聞かれても恥ずかしくて言えなかった。しかし、父は技術を生かして自社ブランドを立ち上げ、価値に見合うだけの価格設定ができるようになった。世の中の評価も高くなり、父がイキイキと働くようになってからは、息子の様子も変わった。「父の仕事は職人である」と胸を張れるようになったのだ。働く人と家族は、きちんとした報酬とともに、誇りも手に入れたのだ。
まいまいのガイドさんは、深い偏愛をもつ人ばかり。日本にふたりといない存在だ。しかし、対象への愛があるからといって、それが市場で評価されるとは限らない。まいまいは、まち歩きの「誇りと稼ぎ」を両立する土壌をつくりたい。
ガイドさんはさらに偏愛と知見を深め、新たな価値観を社会へ還元するだろう。価値に見合うだけの価格設定が、未来への投資を生み、これからの社会を豊かにしていくのだ。
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