見出し画像

いいひとでいる方がラクだけど

ネット界隈では
マスゴミ‥と呼ばれてしまう
ような仕事をしていて、
「なんでそんな言い方を
されるんだろう‥」


などとはまったく思いません。

事件や事故、不祥事、災害が
仕事、つまり飯のタネになるなんて
蛇蝎のごとく嫌われて
当たり前だと我ながら思う。

ヒーローのように
たてまつった人が
ほころびを見せた途端に
血祭りにあげるようなことを
マスメディアはやるんですよ。

もちろん記者も人間なので
できれば取材相手に
喜ばれたいのは当然です。

たとえ、事件被害者や
その家族の取材であっても
「この取材を受けて
よかったかもしれない」と
思ってもらいたい。
winwinならいうことないでしょう。

なのに相手の時間を使って
丹念に聞いた話も、
限られたスペースで
最大公約数にわかりやすく
しようとした途端に
編集過程で
陳腐な一言や極端なフレーズに変わったり

安易で大雑把なつくりに
なってしまったり。

そこはギリギリの攻防や
せめぎ合いの繰り返しですが
見たひとは出たものがすべてです。
言い訳は通用しない。

ただ、できた原稿を相手に
チエックしてもらう
広告的なものをつくる
ケースもやりますが、
これは本当に無難で保守的で
つまらなくなりがちなのも事実です。

普通のひとは
自分自身や
自分が所属する組織について
公の場にさらす時に
絶対に冒険はしませんし
(プロは別)

当事者が「こうである」と
思い込んでる描かれ方に
新しいことや発見、驚き
つまり「ニュース」は
ないんですよね。

それをそのままなぞると
広報担当になってしまいます。
大企業や政府なら
大本営発表というやつですね。

こういう大衆向けのメディアに
うんざりした時は
お洒落なサブカルサイトや
洗練された雑誌をみればいい。
上質な小説を読むのもいい。

かたやマスメディアって
しょせん、大衆向けの
ファストフードならぬ
ファストメディアなのだと
思っています。

ベストセラーのタイトル
みたいですが「嫌われる覚悟」について

今でも忘れられないことがあります。

記者職はじめてまだ間もないころ。
地方で警察まわりを
していた私は、
とある酷い事件の取材で
毎朝、捜査幹部の家に通っていました。

東京から転勤して来た
その幹部は、30分ほど
歩いて通勤しており
何人かの記者がそこについて歩き、
一言でもなにか情報をとろうと
必死になっていました。

そしていざ、警察が動く段になりました。
当時、捜査の邪魔になるので
「書くな」といわれたことを
「この段階で書くなはないだろう」と
何社かは書いたんです。
うちもその一社。

すると翌朝、
まあ案の定なのですが
私は他の記者もいる前で
その幹部に怒鳴りつけられ
「君の社の取材はもう受けない!」と
言い捨てられました。

さて。
わたしはというと
社の判断と取材先との関係の
板挟みにウジウジし
「こんな嫌がられる仕事イヤだ‥」と
しばらく落ち込み、
その次の朝は「朝駆け」に
行かなかったんですよ。

すると、別の社の先輩に
(地元テレビのベテラン記者)に
廊下でそっと呼び止められ
「あれを言われて行かなくなったら
いかんよ」と、いわれたのでした。

そのとき、私は
ものすごく恥ずかしかったのです。

嫌われるのイヤ‥と
いじける覚悟のなさも
しれっとして
翌朝も通えない
自分の器の小ささも。
すべて甘えであると
思い知らされた。

それ以来、
相手にいい顔ばかりすることは
仕事である以上、できない。
イヤなら辞めるし
やる以上は
ときに嫌われることも
引き受けなくてはならない、と
考えるようになったのでした。

今思うと、あの捜査幹部も
20代の小娘叱ってみせて
嫌われる部分を
引き受けたんですよね。

そりゃ、
いいひとでいるほうが
ラクなんですけどね。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?