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紫式部日記第169話こよなからぬ御酔ひなめれば、

(原文)
こよなからぬ御酔ひなめれば、いとど御色合ひきよげに、火影はなやかにあらまほしくて、
 「年ごろ、宮のすさまじげにて、一所おはしますを、さうざうしく見たてまつりしに、かくむつかしきまで、左右に見たてまつるこそうれしけれ。」
と、大殿籠もりたる宮たちを、ひき開けつつ見たてまつりたまふ。
 「野辺に小松のなかりせば」
とうち誦じたまふ。新しからむことよりも折節の人の御ありさま、めでたくおぼえさせたまふ。
 

(舞夢訳9
(そうは言っても)道長様は、それほどの酔い方ではないのです。
お顔の色も良くて、大殿油の灯火に照らされているので、華やかにも見えます。
「この何年か、中宮様は、沈んだような面持ちで、お一人でおられていたので、寂しかろうと拝見していたのですが、こうして、手が回らないほどに、左にも右にも、若宮様を拝見させていただいて、うれしい限りです」
と言いながら、お休みになられている若宮様たちを、(御帳台の垂絹を)引き上げては、拝見なさります。

「野辺に小松のなかりせば」
道長様は、お口ずさみになられます。
(その歌があるのだから)(私が)新しく歌を詠まなくても、道長様の古歌のほうが、よほど、この折に沿っていると思われ、めでたいこと限りなしと思うのですけれど。

※「野辺に小松のなかりせば」:「子の日する 野辺に小松の なかりせば 千代のためしに 何を引かまし」壬生忠岑。「子の日の行事をする日に、野辺に小松がなかったら、千代の長寿を願うしるしとして、何を引いたらよいものでしょうか」
「小松」は、若宮のこと。長寿と子孫繁栄の証と考えている。

道長は、「天皇の外戚となる、祖父となる」の願望を実現、得意満面である。
一条の帝の愛が薄かった中宮彰子にも、子が生まれ始め、ますます安泰。
ほろ酔い加減に、紫式部に「褒め歌」を詠めというけれど、なかなか詠んでくれない。
だから、自分で、壬生忠岑の古歌を詠む。
紫式部は、冷めた目で、「最初から、その歌にすれば?」と思うが、誰に読まれるかわからない日記、しっかり道長を「褒め称えること」は忘れない。

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