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さむしろに 衣かたしき 今宵もや

よみびとしらず


さむしろに 衣かたしき 今宵もや 我を待つらむ 宇治の橋姫

                 (巻第十四恋歌四 689)


筵(むしろ)に、自分一人の衣だけを敷き、今宵も私を待つのだろうか。

あの、宇治の橋姫は。


「宇治の橋姫」:宇治橋を守る女神。神話では、住吉大明神が姫大明神のもとに通った説、貴船神社に呪いを授かって鬼女となる「橋姫」話等がある。

また、源氏物語宇治十帖の最初の巻は「橋姫」。


いずれにせよ、京の都から隔絶した宇治であることから、遠距離でなかなか逢えない女性のたとえかもしれない。

また、宇治十帖では、薫は何度も通いながらも、結局思い焦がれた大君とは結ばれなかった。(匂宮は、あっさりと中君と浮舟を手に入れるけれど)


さて、紫式部も宇治十帖を書く上で、当然、この歌を知っているはず。

この歌を、薫の立場で詠む場合は、実に皮肉で屈折したものになる。

つまり、薫は、お目当ての大君は、「自分を常に待っている」と、勘違いを続けている状態。(大君は、薫の資金援助は有難いけれど、薫を好きではないから、決して契りを結ばない)

「身分は高くても貧乏で僻地に住む女性に、金とモノだけ貢いで、結局フラれる都会の貴公子」

そんな勘違いの歌と思うと、この歌の魅力が増してくる。

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