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「あなたドン底を経験したことある?」「さては無いな」という【備忘録】

「このドラマは観ようかな」

第1話を観て、僕はそう思いました。
素敵なドラマを観ると、人生が豊かになります。

しかし僕は、極力、ドラマを観ないようにしています。
理由は、多くの時間を奪われてしまうから。

なのでドラマを観る場合は、「本当に観るべきなのか」と、厳しく自問自答します。

第1話を観て、大いに興味関心をそそられたドラマはsilentサイレントです。

silent』(サイレント)は、2022年10月6日からフジテレビ系「木曜劇場」枠にて放送中のテレビドラマ。主演は川口春奈。≪ 中略 ≫
生方美久の脚本によるオリジナル作品。

引用:Wikipedia

ドラマの概要も貼ります。

あらすじ
高校時代、青羽 紬(あおば つむぎ)佐倉 想(さくら そう)はお互いに一目惚れして付き合っていた。想の声が紬は好きで、二人にとって電話や、共通の趣味の音楽はかけがえのない愛おしい時間であった。

進学して上京した想は、卒業後まもなく、紬に理由も言わずに、文字だけで別れを告げて姿を消してしまう。
想は高校時代の友人らにも一方的に連絡を絶っていた。

8年後、地元の短大を卒業した紬は上京し、高校の同級生の戸川 湊斗(とがわ みなと)と交際していた。紬は大好きな音楽に囲まれながらCDショップで働き幸せな日々を過ごしていた。すでに想は、二人にとって過去のことになっていた。

ある日、紬は電車を待っていると、想を見かける。

紬は必死に追いかけるが想を見失ってしまった。
それ以来、もう一度会って話したい気持ちが強くなっていた紬は偶然にも別の日、想と再会を果たし、思いの丈を伝えるが、想は驚き困惑しながら張り裂けそうな表情をして手話で返答するのだった。

想は難病である「若年発症型両側性感音難聴」を患い、音のない世界で生きていた。

紬は自分の中に残っていた想への思いや、湊斗との関係に戸惑いながらも、現実に向き合おうとし始める。

引用:Wikipedia


ところが僕は、昨夜、第2話を観て、

(これは、今後は観なくてもいいかな?)

と、考えが変わりました。


でも、もしかしたなら、僕の疑問に対するアンサーが、このあとのドラマの中で描かれるのかもしれません。

(それを確認するために観るか?)

今、僕の判断は揺らいでいます。


ちなみに、昨日、このドラマの放送を見逃さなかった理由は、
シマダさんのこの記事のおかげです。

シマダさんの記事を貼ったのは、
実は、シマダさんに注意喚起をしたいからです。

ここから先は、読まない方が良いかもしれません。


シマダさんに限らず、このドラマを観て楽しんでいる方には、冷や水をぶっかけてしまう記事かもしれません。
僕は、第2話を観て、かなり否定的な感想を抱いたのです。

なので、ドラマを楽しんでいる方は、スルーした方が良いかもです。
「なせじょーじごときのたわ言に、大した影響は受けませんよ」という方であれば、そう、例えば妻のゆかりちゃんなどは、この続きを読んでも大丈夫です。

ていうか、ゆかりちゃんは読んでください。


そして、hanasakiさんには是非読んで欲しいので、シマダさんとは逆の意味でリンクを貼ります。

1つ質問があります。

下の◆疑問を読んでいただいて、コメントで回答いただけると嬉しいです。
もちろん、スルーしていただいても全然かまいません。

◆疑問

hanasakiさんにお聞きしたい、疑問です。

生まれながらに聞こえなかったのではなく、18歳まで聞こえていた人。
そして、話すこともできていた人。
この人が両耳の聴力を失った。

この場合、この人は、【話せなくなる】のでしょうか?

僕は、話すこと(発声すること)は、できると思うのです。

これが、僕の疑問です。


少し書き足します。

声帯という機能は病に侵されていないワケですから、発声はできると思うのです。

ただ、

≪ 自分の発した発生が、自分には聞こえない ≫

という、摩訶不思議な現象に、ものすごく戸惑うと思います。

変な発声・発音になっているような、そんな不安が常にあるとしたら、
かなり辛い……。

つまり、声帯の機能上の問題ではなく、精神的な問題で発声できなくなる。

そういう人って、多いのでしょうか?


あるいはまた、自分の発生をその都度確認できないゆえに、徐々におかしな発音になってしまうのでしょうか?

僕は、聴力を失った主人公の佐倉 想が、声を発しないことに違和感を感じています。
これは、聴覚障害に対する単なる興味本位ではなく、正しく理解したいから気になっているのです。

精神的不安、精神的な怖れ、そういうものが、発声を奪ってしまう。
精神的不安とは、それほどまで強いのか?

後天的に聴力を失った人の多くは、発声までも奪われてしまうものなのか。

ヘレンケラーが行なったという、先生と自分のノドに手を当てて、発音を正すトレーニングは、有効ではないのか?

とまあ、さまざまな疑問が湧いたのです。

Google検索を、そこそこしつこく行なってみたのですが、欲しい情報にたどりつけませんでした。
hanasakiさんなら知っているのかも?と思い至ったのです。

もし、よろしかったら、hanasakiさんの知見を教えてください。


◆次の見出しの説明

hanasakiさんへ。

質問は上記で終わっております。
なので、ここから下は、
ドラマを楽しく見るためには、良い記事なのかもしれませんし、
悪い記事なのかもしれません。

不愉快になるかもしれませんので、ドラマを観るのならば、読まない方が良いかもしれません。

その他の方も、ご承知くださいませ。


次の見出し『思考・感情、書きなぐり』を説明します。

昨日観たドラマの感想を、忘れないようにメモをしました。
そして、月曜日にでも記事にしようと考えていました。

ところがメモをしたらキーボードが止まらなくなったのです。

ふと、
あえて推敲もせずに、僕の思考と感情を、このnoteにダダ漏れさせてみようと思い浮かびました。

次の見出しの文章には、説明不足が多々あると思います。
しょせん、メモ書きですので。

いわゆる、”行間を読むという努力”をしていただきたい、と思います。

僕自身が、ちゃんと言語化すべきなのですが、言語化をすればするほど僕の真意からは遠ざかる、そんな予感がしています。

では、ダダ漏れです。
よろしければ、ご一読くださいませ。


◆思考・感情、書きなぐり


高校3年生まで、会話していたのだから、
後天的だ

だったら、話せるんちゃうかなぁ

自分の耳で確かめられなくて、怖い、とかかな?

ググっても見つからない・・・


主人公佐倉 想の、
母の、泣き方が違うのでは?

かわいそう、哀しい、ではないと思う…
でも、僕には、そういう涙に見えた
そういう泣き姿に見えた


「かわいそう」を、ネットの辞書で調べよう

※かわいそう:みじめな状態にある人に対して、同情せずにいられない気持であること。ふびんなさま

やはり違うと思う


僕が、
わが子が病気で聴力を失うと知ったなら、

音楽が楽しめない、
映画だって音がない、
彼女の声が聞けない、
日々の不便、
様々な精神的苦痛、
辛いだろう、
代わってあげたい、
などと思うだろう

子どもが幼い場合の母親ならば、
健康に産んであげられなかったと、自分を責めるかもしれない

しかし、そのとき涙するド真ん中の心は、
「ごめん」や「もうしわけない」ではあっても、

「かわいそう」ではない

そう思うんだけど、
ちがうだろうか?


いや、
「かわいそう」ではない
僕の想いや、僕の涙は違う

僕は、微妙に違う

僕は、聴覚を失った人を「みじめな状態にある」とは思わない

身長が2メートルの人も、何かと不便だろうし、
身長が150センチくらいの日本人男性も、何かと辛かったり悔しい目に遭うだろうとは思うが、「みじめな状態にある」とは思わない

同情すべきとは思わない

エンパシー(共感できずとも理解に努める)する
理解を心がける
完全な共感などはできないが、あなたの気持ちを理解したい
そう願うし、そう思う

理解したいと思うが、それと同情は違う

「かわいそう」と泣くのは失礼で、
僕は、母ならばそれは分かって欲しいし、
分かってくれるのではないだろうか

その上で、
それでも、シンパシー(共感)してしまって、涙する
それなら分かる

その場合のそれは、本人のような泣き方になるのではないか?

本人ならば、
素直に哀しむだろうか?

世を憎むのでは?
怒りを覚えるのでは?

神を呪い、
健常者を妬み、
そんな自分を自己嫌悪し

何が悪かったのか考え、
イヤフォンを壊し、
八つ当たりの限りを尽くし、
遺伝の可能性を思い、
医学で治らないことが、医学界の怠慢に思え、

医療の進化の現状に怒り、
進化を妨害する者を憎み、
既得権益に嘔吐する

わが身の今後の、最悪なケースをあれこれ想像する
アレもできない、
コレもできない、
アレも聞こえない、
コレも聞こえない

ぼう~っとし、
無気力になり、
夢なのだと思い込もうと努力する


分かりやすく表現するならば、もっと汚い涙になるのではないか
汚いとは、泣く姿のビジュアルのことで、
その心象のことではない

「うわ~ん」
「ク、ヌググッ・・・」
「ひっく、ひっく」

と、その泣く主人公の姿を観た人が、「かわいそうに」と思うような、
そんなキレイな泣き方ではない気がする


「くそ~」
「なんでオレなんだ」

母ならば、
「なんで、想なのよ」

という感じで、観た人が引いてしまうような、そんな感じになる気がする

眼はうつろか、
何かをにらんでいるか

怒りに涙するのではないか


「かわいそう」はおかしい

なんか、腹が立つ

母国語が英語の人に
「なせじょーじ、君は英語が話せないし、聞き取れない。可哀そうな人だ」と、バカにされたなら?

バカにされるのはまだマシだ

100%の、同情をされたなら?
「かわいそうに」と、本気でやさしくされたなら?

「なんでオレが『かわいそう』やねん」と、腹が立つやん
「バカにするな」と言いたくなる
なんで英語を話せるだけで、上から目線やねん


むかし、
岩手県宮古市の方言をバカにされクスクス笑われたが、
その笑ったお前らが岩手県宮古市に住んだなら、
お前たちが笑われるんだからな!

そう思ったこともあったなぁ

方言をバカにされるのは、まあいいが
「かわいそう」と思われたら、それは心外だ

聴者は口語を理解し
使えるが、
手話は理解できず、使えやしないじゃないか

なんで聴者が上なん?


もし、僕が当人なら?
もし、僕が母親なら?

落ち込んで
落ち込んで
落ち込んで、

何千メートルも落ち込んで
深く、
深く深く、
もの凄く暗いところまで落ち込んで、

落ち込みのドン底?

そんな所にたどり着いて、

「ああ、ここがドン底ってところか・・・」

と感じて、


落ちてゆく途中で、
自分自身の、自分勝手な心もさんざん見てきて、

汚くて、
偽善で、
臆病で、
わがままで、
自己中で、

それらが見えて、
感じて、

前向きさもなく
希望もなく
ただ、たぶんココはドン底だと感じて

ふと、

「これ以下はないのか」

と思って、

ふと、
自分より困難な状況の人のことを、想像して、

すこしづつ、
ホンの少しずつ、

元気になるというのではなく、
あきらめが、

たぶん、良い意味での、あきらめみたいな感じが生まれて


でも、
相変わらず、己のために、僕に向かって同情を振りまく輩もいるワケで、
相変わらず、あからさまに気持ち悪いモノを見る視線を僕にぶつける輩もいるワケで、

汚いヤツラで、
軽蔑さえしたくなくて、

でも、
自分も同じように汚い人間で


同じ・・・
汚さは大差ない

そんな時に、

自分に、普通に接してくる人がいて


確率は、
1万人に1人くらいだろうか


その人と会って、
胸の奥があたたかくなり・・・

なんか、こいつとなら普通にケンカだってできそうだ
普通に、ときには悪口を言い合えそうだ


やっと、
あれ以来はじめて、

自分は1人ではないと思う・・・



そんなときだろう

「うわ~ん」
とか、

「ク、ヌググッ・・・」
とか、

「ひっく、ひっく」

と、
声を出して泣けるのは


それまでは、
誰もいないところでしか
誰もしらないところでしか

泣いたりはできない
かも・・・


◆〆

いつか、なにかのための備忘録です。

乱文、失礼いたしました。


繰り返しますが、ゆかりちゃんは読んでください。
感想も聞かせてください。


今日も、あの西野さんも言っていましたが、

僕は、
ゆかりちゃんが大好きでたまりません。






おしまい


※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第917話です

※今週の”新たなnote仲間紹介”の記事はお休みします

※ユハコさんへの【絵本を作ろう】の返事記事は、明日投稿します

PS

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ご一読いただけたら幸いです。

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