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「分からない」は恥ずかしいことではなく、知ったかぶりをする方が1000倍恥ずかしい

今日は、僕の感想を書きます。
エビデンスはありません。

◆前提

今から8~9年前です。ゆかりちゃんと結婚(同居)するチョット前かな。

TVでは連日、小保方晴子さんを報じていました。


当初、マスコミは、「リケジョの星」として持ち上げまくりでした。
「STAP細胞が発見された」「夢の細胞だ」「世紀の大発見だ」という報道だったのです。

「割烹着姿がイイ」などと、オジサンたちを意識した紹介も、連日、どの局でも行われていました。

このときの僕の感想は、「へ~」「そんな細胞が!」という感じでした。
ノーベル賞を受賞した山中教授の、iPS細胞に似ていて、「もっと扱いやすい細胞」と聞いた気がします。
となれば、小保方さんもノーベル賞を獲るのかなぁ、なんて思いながらTVを眺めていました。


そして、皆さんご存じだと思いますが、
TVでの小保方さんの扱い方が180度変わりました

「STAP細胞なんかない」「詐欺だ」「インチキだ」と、TVでは、これまた連日どの局でも、小保方さんを叩きました。


◆「STAP細胞はあります!」

「STAP細胞はあります!」と、小保方さんが言いました。

僕は、「この方はウソは言っていない」と思いました。

嘘つきや、嘘を言う時の人の顔って、僕は分かる気がするのです。
人生50年の「経験値」というものなのでしょうか。
そして僕は、自分の勘を信じようと心がける生き方をしています。

小保方さんは、STAP細胞を再現できなかったのですから、何かしらのミスか不備か勘違いかがあったのでしょう。研究論文も、間違っていたのかもしれません。
でも、この辺のことは、僕は、全く知識がありません。
ですから、正しいとか間違っているとか、ジャッジや判断などをするつもりもありません。

かばいもしないし、責めもしない。
だって分からないもん。

分かっているのは、「小保方さんはウソを言っていない」と僕の勘は言っている、ということです。


◆こんな動画が

「STAP細胞は、実はあった!」などという報道はありません。
そのようなYouTubeも観たことはありません。

そもそも僕は、STAP細胞のことも小保方さんのことも、検索などしたことなどありません。

にもかかわらず、YouTubeは僕に、この動画をオススメしてきたのです。

この動画の内容は、記述しません。
21分と少々の動画です。ぜひご視聴ください。
1.25倍~1.5倍速での視聴がオススメです。
ラジオのように、聞くだけでも事足りる動画です。

繰り返しますが、僕は、化学者の方々の世界(業界)を知りません。
全くもって知識不足です。

ですから、「この動画は凄い!」とか「本物だ!」などとは言えませんし、
そのように思ってもいません。


僕は、この動画を観て(聞いて)、

へぇ~、なるほどなぁ。と思いました。
こういう可能性もあったんだぁ。と思いました。
こういう理屈もあるんだぁ。と思いました。

そのような、ふわっとした感想を抱いただけです。

言っていることの真偽は分かりませんが、
言っていることの理屈は、おかしいとは感じませんでした。


◆結局僕は、分からない

結局僕は、何も分かっていません。
小保方晴子がウソを言っていたのか、彼女にとっての本当を語ったのか。
僕には、その真実は分かりません。

僕は、本当を語ったと思っているだけなのです。
分かってなどいません。


マスコミは、正しい報道をしているのか。
それとも、未来では断罪されるのか。

僕には分かりません。
僕は、嫌だなぁと感じているだけです。


STAP細胞があるorないも、
YouTubeの武田邦彦さんの意見が正しいor正しくないも、

僕は、全部、分かりません。

僕は、こう思うなぁ。
僕には、こう感じるなぁ。という感想があるだけです。

聞いて、考えて、思った。ただそれだけです。
新たな情報が追加されれば、変わる可能性のある感想(思考)です。


◆この記事で僕が言いたいこと(結論)

僕以外の方だって、新たな事実を知らされたら、意見って、変わるのでは?
ならば、

分からないは、「分からない」で良いのでは?


分からないハズなのに、決めつけて、
その決めつけを元に、怒って、
その怒りを発言(発信)して、対象者を裁こうとしますよね。

いやいや。
大前提が【分かっていない】なのですから、それはめません?

分からないは、分からないでイイじゃないですか。
分からないでイイと思うのです。

分からないことは恥ではありません。
知ったかぶりする方が1000倍恥ずかしいことです。


◆提案

「真実は分からないけど、今は、こう思う」という、僕やあなたの感想は、
誰かを傷つける可能性があるのならば、思うにとどめるべきではないでしょうか。

発言や発信をすべきではない、と思うのです。

思うのは構わないのです。
思っておくだけにしましょう。


そして、僕やあなたの感想が、
誰かを救うとか、勇気づけるとか、誰かをかばとか、そういうことになりそうならば、それは、言葉にした方が良いのでは?

発信すべきです。言うべきです。
僕は、そう思います。


ちなみに、もし、

「その発言(意見)は、 Aさんを勇気づけるけど、Bさんを傷つける」

というケースなら、僕は少数派になります。

多くの人がAさんを勇気づける発信をしているのなら、僕は発信しません。
Aさんは、多くの人に支持されているのですから。

そのような場合、あえて僕までもがBさんを傷つける必要はない、と考え、黙るという少数派を選択します。


逆で、Aさんを勇気づける発信者が少ないのなら、僕は発信します。
Bさんを傷つけることになりますが、それは僕の中では大目に見ます。少数派ですしね。

それよりも、Aさんを勇気づける(擁護する)ことを重視します。
Aさんを支持する感想の持ち主がいると、少数派だがココにいると声を上げます。

・傷つけるなら言わない
・勇気づけるなら言う
・どっちもあるなら少数派になる

そんな考え方を僕は選択します。








おしまい


※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第1305話です
※僕は、ゆかりちゃんが大好きです


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