実家の焼肉屋さんを継ぐことになった話
○下町の小さな焼肉屋さん
創業30年。夫婦二人で切り盛りしていた商店街の外れにあり、駅からは少し距離がある。昭和でレトロな雰囲。
マスターが出すお肉は全て黒毛和牛。なのにコスパがよいと人気があった。職人さん気質で黙々と調理をしているがお酒を飲むとよく喋る。
メニューもどちらかといえばさっぱり・脂身控えめ・年配の方にも喜ばれる。全て手作り。子供達にはアイスをサービスしてくれてシメでおすすめしている冷麺は絶品である。
ママがホールに立ち、店内はいつも常連さんで溢れていてる。天性のおもてなしの心の持ち主。お客さんの好みや食べる商品、注文の仕方や食べ方も全て覚えていてサービス業が好きな私でもこの人には勝てない!と思ったほどリコグニションとアンティシペイション力がある。
だからお客さんはママに会いに来ていると言っても過言ではない。そんなスナックみたいな場にもなっていた。
親子三代で来てくれたり夫婦やお仕事仲間など様々なお客さんがいる。しかもお客さん同士が知り合いでもうみんな地元が好き!みたいな。
地域密着型で本当に愛されていたんだな。と
のちに私たち夫婦はお線香の香りとお経を聴きながら体感することになる。
「今年から少し定休日を増やして老後の楽しみも満喫していこうと思うんだよね」
「うん!いいと思う!私運転するから温泉とかいこうよ」
なんて話していたお正月。
ーそれから7ヶ月後。マスターだったお父さんが癌で亡くなった。
ーこの日を7月13日忘れない。
お正月から1ヶ月過ぎた頃、余命半年の宣告を受けた。癌だった。見つかった時はすでにステージ4の段階。それから半年間と少し、怒涛の日々だった。この時の話はまたいつか。
夫婦でお店を経営していたためマスターが亡くなってしまた以上、お店は閉めるしかない。誰もが思っていた。私もその一人だった。
○私たちは継ぐことを決めた
世間はコロナ禍であった。緊急事態宣言が出て東京はもぬけの殻に。旦那さんは都内のレストランを経営する会社に勤務しておりコロナで飲食店の経営が厳しいことは重々承知の上だった。
お店は半年間休業状態であった。営業を再開したとしてもお客さんは来るのか。先代の味が出せるのか。お客さんは離れてしまわないか。コロナ禍で外食に行かない人もいるだろう。お客さんに忘れられていないか。それに私たちには子供が三人おり、まだ小さい。売上を立てられなければ家族のくらしにも影響が出る。
それでも「継ぐ」と決めた旦那さん。
「私もやりますよ」と。
○愛されるお店
お母さんや姉妹たちに継ぐ事を報告し、まずは厨房に立ってみる事になった。もちろんお母さんは喜んでくれた。何よりきっと天国のお父さんが一番喜んでるんじゃないかな。うん。
実際にお店に立つのはお母さんと旦那さんになる。
お世話になった常連さんにお店を開ける事を伝えるとすぐに予約が入った。四十九日がすぎ、季節は残暑の9月になっていた。9月は日曜日の2日間のみ。この2日間は私もお店に立つことにした。
来てくれたお客さんはみんな涙を浮かべて
「継いでくれてありがとう!!お兄ちゃん(旦那)の味でいいからね」
「お店があるだけでいいの!ママに会いに来るんだからね」
「自信持ってお店やってね!」
お客さんの言葉が本当に染みた。なんだか厨房にマスターが立って聞いてるんじゃないかな?って。思った。うん。
葬儀の時にすでに気がついてはいたが、「本当に愛されているお店なんだな」。葬儀には多くの方が足を運んでくれた。こんなに幸せなことはないだろう。そしてこれからもきっと愛され続けるのであろう。そんな風に思った。
ー愛される理由は二人の人柄だったんだろうな。
○飲食店に必要な一番大切なこと
それは「人」である
これは飲食業だけじゃなく全ての業種に言える事だとおもう。
飲食で言えば「どんな商品」より「誰の商品」を買うかが重要だったりする。
どこかで行った事あるようなお店がずらりと街にはあるし、同じ値段や同じ味なんていくらでもあって、なんならクックパットで検索すれば自宅でも作れちゃうほどレシピは転がっている。だからレシピに価値がなくなってしまう。そこに付加価値をつけるのであれば「誰が作ったレシピなのか」だと思う。飲食店も「どこのお店にいくか」ではなく「誰のお店にいくか」に選ばれてるお店が今までもこれからも愛されるんだと私は思う。
○あとがき
今も昔も変わっていなくて私たちはそれを忘れてはいけない。たった2日かもしれないが考えさせられた。
中学卒業の時の恩師がくれた言葉に
「変わることの大切さ。変わらないでいることの大切さ」
とある。
その時は理解できなかったことが30歳になって少しずつ思い出す機会が増えてきたきがした。これも変化なのだろう。こうやって日々の生活の中で感じた忘れちゃいけないと思ったことは出すようにする。中々文章にするて難しいのですが「実家の焼肉屋さんを継ぐことになった話」は今後も続けていきたいと思います!
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