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【エッセイ】無意識との付き合い

 夢を見た。学校で誰も座っていない机。ここは谷川俊太郎の席だ。谷川俊太郎は体調が悪いから休みらしい。ぼくは、谷川俊太郎の机にバナナを置いた。その部分しか覚えていない。
 どうってことのない夢だな、とおもう。でも、改めておもいかえすとちょっとおもしろいかもしれない。ぼくにとっては谷川俊太郎というひとが夢にその気配だけでも登場したということがおもしろい。よほど谷川俊太郎が好きなんだという気がする。
 好きな人物が夢に出てきた例としては、他にはカネコアヤノが夢に出てきたことがあったような気がする。直接会ったことのないひとでも、好きなひとは夢に出てくるものなのだ。カネコアヤノには、新曲が録音されているというCDをもらった気がする。
 そういえば、この前は小学校のとき好きだった女の子が夢に出てきた。ぼくはいま、三十七歳なので、もう三十年くらい前の好きなひとだ。自分にもそういう純粋なところがあるのだ、とおもった。

 いつも見る夢には、実家の家族が出てくることも多い。若い頃、まだ一家が没落する前に住んでいた一軒家がよく出てくる。人間はある年齢以上になると無意識が変化しにくくなるので、たとえば、夢のなかではいまだにガラケーをつかっている、または固定電話である、というような話をなにかで読んだ。ぼくの無意識もずいぶんと昔のことを題材にして夢をつくっているような気がする。
 この前は、弟とスーパーファミコンでボンバーマンをする夢を見ていた。弟とはいろいろあっていまではほとんど口も利かない間柄だ。その夢を見たときには、つまらない夢だとかんじだけれど、冷静になって考えてみると、いまでは仲の悪い弟と夢のなかではまだボンバーマンをやったりしているのはおもしろい。
 夢というものは見ているときはけっこうどうでもいい夢だとおもうけれども、冷静になって後から考えてみるとおもしろい気がする。でも、これはぼくがもともとあまり夢を見ない方で、つまり夢に関心が低いからそういうかんじかたをするのかもしれない。夢に関心があるひとは、最初から夢をおもしろいものだとかんじているのかもしれない。

 病院のカウンセリングで、なにかの拍子に、自分はつまらない夢しか見ないと話した。ぼくの友だちのフォロワーには夢分析をしているひとがいて、そのひとは映画のような複雑な夢を見る。ぼくが夢を少し覚えているようになったのはそのフォロワーの影響だとおもう。
 そういう話をしていたら、カウンセラーさんが、「熊野くんは絵を描かないんですか?」と言ってきた。唐突におもえたので、「描きますが、なぜですか?」と聞いてみると、「絵には無意識が出るんです。詩もそうだけれども、言葉よりも、絵の方が意識のコントロールが弱くなるので、絵の方が無意識は表れやすいんです」と言っていた。
 ぼくは一時期絵日記を描いていたので、今度のカウンセリングにはその絵日記を持って行ってカウンセラーさんに見てもらおうとおもった。

 カウンセリングが終わると、病院の待合室でぼんやりとした。カウンセラーと話すのは普通のひとと話すのは違うのかもしれない、とそのときおもった。カウンセラーさんと話した後は、ぼんやりすることが多い。話が終わって、すぐにいつものようにスマートフォンを見たり、本を読んだりすることは難しい。さっきの対話が心のなかに残っているかんじがする。カウンセラーさんがぼくの心を調べたので、その感触が残っているのかもしれない。そういうわけで、窓の外に眼をやってぼんやりとした。
 しばらくして、カウンセリングルームから、カウンセリングを終えた女性が出て来た。その女性は真っ直ぐ受付に行って、「診察まで時間がありますよね。十七時まで外に行ってきたいのですが、可能ですか?」ときびきびと話していて、ぜんぜんぼんやりとしていなくて強いとおもった。

 話は少し変わるけれども、最近は詩を書くことが上手くいっている。
 ぼくは、詩というものは自分の知らない無意識からのメッセージのようなところがあるので、自分で全部、隅から隅までコントロールできないのだという考えだった。だから、詩が上手くなるためにどういう努力をすればいいのかよくわからなかったし、そういう方法はないのだとおもっていた。でも、最近は自分では上手くなってきた気がしている。
 詩を書くときは、自分のなかにすでに詩の完成形のようなものがあって、それを手探りで書いていくのだというような気がする。パソコンに向かって、適当に言葉を書いては、消し、書いては消しを繰り返す。この前、気がついたことは、最初の方に出てきたよくわからない言葉が、詩の完成間際でもう一度出て来て、それが意外によく合っていたりするということだ。このことから、詩を書くことはそのときのぼくの無意識のなかにあるなにかに形を与えることなのかもしれない、とおもった。
 あとは、ぼくは詩を書いていることがいつも恥ずかしく、後ろめたかったので、どことなく斜に構えていたり、ふざけたりしている面があったんだけれど、それを減らして、以前より真面目に書くようになったのも大きいのかもしれない。「詩なんて」という態度を改めた。
 ぼくは、どちらかと言うと恥ずかしがり屋な方なので、なにをするにもどこかでふざけていることが多い。でも、自分の詩を書くときくらいはもう少し真面目にやろうと決めたんだった。

 ぼくは三十六歳のとき、熊野ミツオベスト詩集「余生」という個人詩集をつくった。その詩集をつくったことは、ぼくの詩との付き合い方に大きく影響を与えたとおもう。これから何年後かはわからないけれども、いまのペースで詩をつくり続けることができれば、ぼくは「余生」とはまた違った表情のある詩集をつくれるのではないか、という希望を持っている。

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