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【エッセイ】協力して握り寿司をつくる

 きのうはよく覚えていないけれども、深夜の三時くらいまでは起きていた。とくになにかをしていたわけではない。ただ眠気が来なくて、眠ることができなかったのだ。
 二時くらいにカップヌードルを食べた。カップヌードルを食べながら、例によってYouTubeで匿名掲示板のまとめ動画を見た。結婚できなかった中年男性たちが愚痴り、お互いを罵り合い、時には慰め合い、孤独死を恐怖する、という内容の動画だった。
 その後、布団で輾転反側としながら、その匿名掲示板のまとめ動画のことが頭にこびりついて離れなかった。精神が汚染されてしまったのだ。酒も飲んでいないのに、人生への恐怖感で震えた。人生に執着するのと同時に、人生を恐れた。

 目を覚ますと、十一時過ぎだった。身体がだるくてなかなか起きられなかった。LINEが来た音がした。友だちからのLINEだった。
 その友だちは、長い間、LINEに返信をくれなかったので、ぼくは内心つらいとおもっていた。ぼくはそうは見えないかもしれないけれども、人間関係ではベタベタとしたところがあって、相手から連絡が来ないといろいろと考えてひとりで勝手に落ち込んでしまう。友だちが、あらためて話があると言うので、どういう話なのかと怯えていた。なにか怒られるのかとおもっていた。でも、違った。さっぱりとしたものだった。よかったとおもう。ひとはぼくがおもうほど、ぼくのことを気にしていないのだ。

 朝ごはんに納豆卵かけごはんを食べた。納豆を混ぜるとき、一昨日買ったパック入りの刻み葱を入れた。その刻み葱は一昨日、カツオのたたきにのせるために買ったのだ。納豆に小葱を刻んだものを少し混ぜるとぜんぜん違う、とおもう。毎日、それをやりたいくらいだけれど、面倒くさいから普段はしない。たまたま刻み葱があったからというだけだった。
 しかし、こんなどうでもいいことばかりを書いていたら、この文章は書きたいところに来るまでに終わってしまうだろう。でも、それでもいいかもしれない。どうでもいいのだ。あくまで自由に文章を書きたい。

 洗濯機を回した。きょうは実家で家族の誕生日会があるので、実家に帰る日だった。少し歩きたい気分だったので、遠回りして実家に行くことにした。
 洗濯機が回っている間は家を出ることができないので、Amazonで本を見ていた。なにかおもしろい物語を読みたいという欲求があった。それはたとえば、村上春樹の小説だったり、ジョン・アーヴィングの小説だったり、それかポール・オースターの『ムーン・パレス』みたいなやつが読みたい気持ちだった。『ムーン・パレス』はもう一度読みたいけれど、どこかに行ってしまった。買い直すしかないだろうか。

 洗濯ものを干した後、外に出た。きょうは上着を羽織らず、セーターも着ていなかったし、もちろんヒートテックも履いていなかった。黒い長袖シャツを着ていた。外は予想以上に暖かかった。というか、暑かった。初夏と言ってもよかった。寒暖差がありすぎて冗談なのかとおもった。
 桜が咲きはじめている。天気というやつは、こうして毎年いつも予想外の変化の仕方をして新鮮な驚きをぼくにくれる。そういう風にツイッターにも書いた。なかなかおもしろいのではないかとおもったが、あんまりいいねは付かなかった。そんなことをおもしろがっているのはぼくくらいなのかもしれない。

 隣駅まで歩いて、そこから電車に乗った。栄えている街で降りた。そこでしばらく歩いているひとたちを見ていた。まだ、少し時間に余裕があって、どうしようかと悩んだ。

 小さな男の子が道端に寝転んでいて、父親がその子どもを呼んでいた。その親子をしばらく見ていた。父親は道端に寝たり、身体をくにゃくにゃさせている息子に向かって、決して声を荒げなかったし、不機嫌さを見せないようにしていた。そして、力ずくで子どもを連れ去るようなこともしない。その気になれば、子どもを抱き上げてしまえばいいだけなのにな、とおもった。あれは子どもの意思を尊重しているのかもしれない、というようなことをおもった。しばらくツイッターを見ていてからまた顔を上げると、さっきの父親が子どもを肩に抱き上げて歩き去っていくところだった。ぼくには子どもがいないので子育てのことはわからない。

 実家まで歩く途中で寄り道をした。最近、できたという古着屋を偵察した。図書館にも寄って、詩集がどれだけあるか確認したりした。

 実家まで歩いた。家から、実家に着くまでに六千歩近く歩いた。

 家族の誕生会には握り寿司をつくった。ダイソーで買った寿司のシャリをつくる透明な型をつかった。父が型に酢飯を押し込んで、それをひっくり返して皿の上に押し出した。一気に五つ、寿司のシャリができた。ぼくはそれにわさびを塗りつける係だった。スプーンの裏側にチューブのわさびをつけてそれをシャリに塗った。つくりながらぼくはこういう神経が必要な作業がけっこう得意だから、自分でも暇なときに握り寿司をつくるのもいいかもしれないとおもった。わさびを塗ったシャリに母がスーパーで買ったお刺身を切ってのせた。

 きょうはこんな風にたのしい一日だった。ほんとうはもっと書きたいことがあったけれど、長くなるので書かない。家に帰ってから、ウィキペディアでヘンリー・ダーガーについての項目を読んだ。ヘンリー・ダーガーはアウトサイダーアーティストだ。

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