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【エッセイ】キャラメルポップコーンの早食い

 髭を伸ばしている。それはQBハウスに行って散髪した結果、気に入らない髪型になってしまったからだった。髭でカバーしようという本能だった。もしかするとあまりにも髪の毛を短くされすぎたので、髭を伸ばすことで顔の毛の総量をなんとか一定に保とうという本能なのかもしれない。
 いや、そんな理由ではなくて、ただ、春がなんとなく憂うつだからなのかもしれない。最近は元気がない。元気がないと髭まで気持ちが回らない。

 この元気のなさはすべて春のせいなのだろうか。
 ここ二日、日曜日と月曜日がぼくは休日だった。そして、丁度、この休日は桜が満開だった。ぼくはとくに桜が好きだというわけではない。でも、ツイッターを見ているといろんなひとが桜の画像をあげていて、落ち着かない気持ちになった。気になってしまう。それにしてもひとによっていろんな桜の撮り方があっておもしろい。

 日曜日は十一時まで寝ていた。朝ごはんにレトルトのキーマカレーをごはんにかけて食べた。それから布団に戻ってだらだらしていたらすぐにお昼になってしまったので、うどんを茹でて食べた。食後、近所のファミリーマートまで行って、レトルトカレーとドーナツとアイスクリームと、酒を買った。帰宅してコーヒーをいれてドーナツを食べた。映画を見ようとおもっていたのに、なかなか見られなかった。
 ぼくは映画を見るのが苦手なのだ、とおもう。映画を見ようとする度にいろいろ言い訳を考えて、見ないで済む方法を探してしまう。
 でも、この日は自分で計画した通りに映画を見た。『Winny』という実際の事件を基にしてつくられた映画だった。けっこう社会派の映画だったとおもう。東出昌大が出ていた。
 映画を見終わったら、十九時を過ぎていた。ぼくは上着を羽織って外に出て、駅前まで歩き、日高屋に入った。日高屋ではバクダン炒め定食のごはん大盛りを頼んで食べた。バクダン炒め定食はキムチ風味の野菜炒めだ。
 日高屋を出ていつもの散歩コースを逆向きに歩いた。いつも歩く道でも逆向きに歩くだけでけっこう新鮮な気持ちになることができる。この前、読んだ萩原朔太郎の『猫町』にもそういうことが書いてあった。
 駅前の桜並木を見上げながら歩いた。「桜が咲いているわね、オホホ。夜桜なんて通ぶっていやらしい」とおもいながらも、桜の写真を撮った。また、散歩中にぼくが書いた詩がフォロワーの少女祈祷中さんのウェブサイトで発表された。『寂しい王国』という題名の詩だった。

 月曜日はどこかに遊びに行くことにした。汚れものが溜まっていたので洗濯機を回した。洗濯機が止まって、濡れた服を部屋に干してから、準備をして家を出た。

 ぼくは吉祥寺まで来た。吉祥寺の映画館で『夜明けのすべて』のチケットを買った。チケットを見ると、後三十分くらいで映画がはじまることがわかった。のんびりとお昼ごはんを食べている時間はなかった。ほんとうはスシローにでも行くくらい余裕のあるつもりだったのだけれど、計画を変更して映画館のなかでキャラメルポップコーンとオレンジジュースを買った。
 キャラメルポップコーンはおもったよりも大きい入れ物に入っていた。これを食べ終わるまでに映画がはじまってしまったら困るとおもって、急いでむしゃむしゃと食べた。こんな風に急いでものを食べること自体が久しぶりだった。だいたいポップコーンを食べることも久しぶりだったとおもう。ぼくは日頃、映画館ではなにも飲み食いしない方だ。なんとなく映画館内の椅子に座ってキャラメルポップコーンを早食いしている自分は映画っぽいという気がした。映画にそういうシーンがありそうだという気がした。なぜ、そういう風におもったのかはわからない。
 とにかくポップコーンの最後の方になって、急いで口にポップコーンを詰めて噛むと異常に硬いポップコーンの欠片があった。ポップコーンを食べたのが久しぶり過ぎて、そういう硬いポップコーンがあることが新鮮だったが、ポップコーンはそういう食べ物だという記憶があった。それにしてもこんなに硬い部分があっては、歯が欠ける恐れがある。
 ぼくは無事にポップコーンを食べ終わって、映画に間に合った。もっと心に余裕があるひとだったら、映画がはじまるまでにポップコーンを食べつくそうなどとはおもわずに、映画を見ながらゆっくり食べたかもしれない。

 『夜明けのすべて』はひととのつながりを描いた映画で、男女の友情の話だった。プラネタリウムをつくる会社で、PMSの女性と、パニック障害の男性が出会う。普通の映画だったら恋愛ものになるはずだけれど、この映画では二人はただの友だちという設定だった。登場人物がみんなおっとりとしていて、いいひとが多かった。いい映画だとはおもったけれど、そこまで好きなかんじでもなかった。

 映画の後はルノアールでココアを飲んで、退勤ラッシュがはじまる前に家に帰ってきた。
 料理をしながらツイッターのスペースをした。それが自分にはとても疲れることだった。晩ごはんの後で、北海道のうつのフォロワーと電話をした。「声が疲れている」と言われた。北海道のうつのフォロワーとはよく電話をするので、お互いの声でなんとなく調子がわかるのだ。
 電話の後はYouTubeで匿名掲示板のまとめ動画のASD、ADHD関係のスレッドをだらだら見続けた。虚無ってかんじだった。
 でも、この休日には映画を二本見ることができたのはよかったとおもう。

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