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しあわせとはなんだろうか

写真は年末につくったたいのこです。
おいしかったです。

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

という新年の挨拶がタイムラインに並んだ。
どうして1年の始まりの挨拶があけましておめでとうございますなんだろう。
ここに疑問を持つ人なんて世の中に存在しないのだろうか。
人と同じになれなくて悩んだ思春期。
今は人と同じことをしなければならないことに窮屈を感じてしまう。

新年早々、好戦的な部分が顔を出してしまった。
普段から注意してはいるが、満月の影響だろうか。
どうにもこうにも抑えきれなかった。
争いたくはないので詳細は省かせてもらう。

僕のことを考えてくれている方から
「一番大切なのはあなたのしあわせです。それは誰の関係もないところでしあわせを感じることだと思う。」
とメッセージをいただいた。

あぁ、僕ってそんなにしあわせに見えていないのか。
そんなことを思った。

虐待を受けていた背景を開示しているからなのだろうか。
まわりから思われているほど不幸ではないけれど、しあわせか?と言われればよくわからないとも思った。
生まれてこの方しあわせなんて考えたこともなければ、しあわせな気持ちなんてわからない。
しあわせってなんだろう。

「おててのしわとしわをあわせてしあわせ。なーむー」

っていうCM。
あのCMを口ずさんだことがある人もいるんじゃないかと思う。

しあわせについて考えていたら
子どもの頃、あのCMを口ずさんで
「このジャシュウめぇぇぇぇぇ!!!!!!!!」と言って鬼の形相でバチボコにしばかれたことを思い出した。

あぁ。いやなことを思い出してしまったな。
そもそもジャシュウってなに。

みんな本当にしあわせを感じて生きているのだろうか。
心の底からしあわせを感じて生きているのか。

本当のしあわせっていうのは一瞬で消えないと思う。
一瞬で消えるしあわせもアリかもしれないけれどそれはしあわせとは言えないんじゃないか。

僕が考えるしあわせっていうのはやっぱりどれだけ孤独でも辛くても自分の内側から希望をつくりだせることだと思うから、それでいうと僕はしあわせなんだろうなと思う。たとえひとりになったとしても、希望さえつくり出すことができればまた0から始められるからだ。10代20代で幾度もの絶望を経験したことは確かな財産になっている。だからこそ、しっかりと主張するところは主張していきたい。大切な仲間を守るためにも、そして自分の尊厳を守るためにも。今年は何よりも自分と仲間を大事にする1年にするのだ。

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