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敬意の礼: 頭を下げる理由(魔神式)

私は自分が悪いと思わない限り決して謝らない。頭を下げる事は一切なかった。

それは10代の頃に暴走族に囲まれ土下座を求められた時に拳で返答した時から変わっていない。その後にヤクザから組の名前を語ったから制裁すると、指名手配したとの御達しが、警察経由で私の元に届いた。

その際に刑事さんから一緒に謝りに行ってやると提案されたが、これを「悪い事をしてないのに謝る気はない」と拒否し徹底抗戦の構えを示した。警察からは九州の武闘派暴力団で本当に命が危ないと警告されたが「死んでも謝罪はしない」と断った。

それから数日後、そのヤクザたちは麻薬関連で一斉に逮捕された。こうして私は、ヤクザに勝った風雲児として地元で名を馳せた。


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しかし、高校の部活動で剣道に入部したことが、私に礼儀を学ばせるきっかけとなった。高校では部活動が必修科目だったため、入部せざるを得なかったのだ。

顧問として部活で剣道を教えに外部から来ていた女性師範の先生は必ず土下座して挨拶をした。

私は軽く頭をペコリと下げて返す程度の事はするが、特にその事について怒られる事も無かった。

ある日、先輩に呼び出され、礼儀がなっていないと叱られた。私は困惑した。先生が自ら土下座しているだけで、なぜ私が同じように返さなければならないのか理解できず、土下座はしないと反論した。私は、誰であれ土下座を強要されれば武力を持って抵抗する姿勢だった。

しかし、その日、いつも通り笑顔で土下座をしてから指導を始める師範代を見て、私は稽古の終わりに初めて先生の挨拶に、他の部員達と同じように土下座で応えた。それが私の人生で初めての土下座であり、剣道の外で土下座をすることはその後もなかった。


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その後は音楽活動を通して、礼節を教わる機会に恵まれ、挨拶として頭を下げる事に抵抗は無くなっていた。

それでも神社仏閣などの祭壇に頭を下げる事には抵抗感が有った。

周りの人々が頭を下げるからといって、同じようにすることに対して、私は強い抵抗感を持っていた。神様が存在するか否かは関係なく、私を助けない神々に敬意を表する理由を見いだせなかったのだ。

神々を祀る像や祭壇などに、頭を下げる事が面倒くさい気持ちと、少し恥ずかしい感覚が私には有った。


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そんな私だったが霊的な存在を認めるようになってから、神のような存在が居る事を感じ取るようになった。

祭壇には確かに、念の集合体のような異次元の何かが渦のように存在していて、それが神なのか、何処かに通じているのか、正体は良く分からない。ただ、今の科学では解明出来ない何かがそこに有った。

幼い頃から、私はそのようなものを感じ取ることができたが、それを単なる空想、疲れや病気により脳が生み出す幻覚だと考えていた。しかし、人智を超えた体験を経験するにつれ、それらが単なる妄想ではないと確信するようになった。

私の認識は、霊的な体験を通して大きく変わった。たとえそれが人為的なカラクリにより演出された妄想だとしても、そのような妄想を引き起こすだけの、人間の理解を超えた力が存在することを認めるようになった。そして自分に、外的な何かしらの力が働いているということを感じとるようになった。


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あたかも運命によって導かれるように進む道がある事を自覚するようになった。この大いなる意志の力に逆らうことは可能だ。特に逆らうことで罰を受けるわけではない。しかし、いくら迂回した所で結局その道を通るように偶発的な事象が起こる。

だったら初めから流れに身を任せて進む方が、より容易で自然な流れを持つことに気づいた。

運命に逆らう生き方をする方が身体や精神に負荷がかかるのだ。そして適度に貰えるご褒美をちらつかされる事により、いつしか私は自ずと自らの為すべき事を自覚してこなすようになっていった。


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このような霊的体験を通じて、私は特定の宗教に囚われることなく、あらゆる神々が祀られる場所に敬意を払い頭を下げるようになった。何かを叶えて欲しいと願い事を頼むとかではなく、人智を超えた未知の力への畏敬の念と、自分が行うべき礼儀としての挨拶から生じる行為だった。

そして、明治神宮で大厄払いを行なった際に、願いを思い浮かべるように促された。その時に私は初めて他人の幸福を願う自分を自覚したのだった。

自分の命より他人を大事に思える。そんな心が自分に有る事に驚いたと同時に、自分自身は神に叶えて欲しい願いが一切思い浮かばないほど幸せなんだと気付かしてくれた事が、何よりの神の恩恵だと感じた。


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それから夜道を一人で歩いている時、私は後方から光を照らされるという不思議な体験を何度も経験した。それは車の光よりも弱く、自転車の光よりも強いものだった。何度振り返っても、光源となるものは見当たらなかった。

最初は、自分の服や鞄の金属部分が街灯に反射しているのではないかと考えたが、確認しても反射するようなものはどこにもなかった。

まるで乱反射して拡散された強い光。靄のような、得体の知れない光が何度も背後を照らす中で、私は次第に、神かそれに類する何かが自分を見守っているのではないかと感じるようになった。


これらの体験が、かつては何者にも頭を下げなかった私が、自らの意志で敬意を示すために頭を下げるようになった経緯である。

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