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重課金の初心者の僕は21歳を迎えた。

考えていたらひねくれた表題になりました(笑)。

変な表題になってしまったイキサツ

最初は様々なところで行う自己紹介にあたって感じた僕の疑問についてこの場をお借りして考察しようかと思いました。しかし、突き詰めるとタイトルとしてはこうなってしまった…。重課金とは学歴のこと、初心者とは処世術、人生で僕という人間を操作するにあたってのプレイスキルが欠落しているという意味での初心者です。つまりなんとなく世間体のいい大学には入ったものの何者でもないまま21歳になってしまった不安について思うことを書いていこうかなと言うことです。

目的意識を保つ必要のない世界から必要を迫られる世界へ

学生の頃何を考えて生きてきたのかつぶさに思い出してみましたがどうも目的意識というものがなかった。公立高校に落ち荒んだ競争心を糧に私立の自称進学校に通っていた私は点数や偏差値がゲームのポイントのように思えて得点を高めることが目的であって大学進学などには興味がなかったのかもしれない。未来に目的を設けることができなかったし、それでも世間はそれを咎めることはなかった。

I do not have dream

「みんなは将来の夢はあるかなー?」日本で義務教育を修了した皆様ならこのセリフを幾度となく耳にしたでしょう。夢って持つ必要ないんじゃね?論はそこかしこで展開されていて非常に無価値だから夢を持つこと自体について考えたい。

特に何も成し遂げたことのない子供が夢を持って語るということはリスクを評価しない、無知な未熟者だと自らを宣伝しているだけだと思うのです。これは映画カイジの個人的名台詞「相手がどうするかと考えているうちに気づいたら自分がどうするかと考えるようになっている」状態にほかならないと思います。そう。特に私は自分に対しておそらく人よりも何倍も自分を許すにあたって高いハードルを用意している。そしてそうすることに価値を感じているのです。

だせえ父親

私の父は封建的で前時代的なお硬い頑固オヤジである。東京で公務員として勤務し、中韓の人々を見下し、障害者にすら存在を否定するような差別主義者であり排外思想を持っていると評価している。戦前からタイムスリップしてきたのではないかとも思えるほど旧日本軍の軍人のような父親を私は反面教師として捉えそれと対置するような人間になろうと努力してきた。特に私に印象深いのは「誰のおかげで食えていると思っているんだ」という発言である。どういう人生を歩んだらあの台詞が出るのか想像を絶する。私は絶対的に性善説を推しているため彼が経験した計り知れない苦労から絞りでた度し難い自己開示であって彼もまた不憫であると思った。でもこれをひどくダサいと思った私には謙虚であること、認められようとしないこと、という2点の強力な強迫観念が取り付くようになった。最も彼には良いところもあり、親として120点、人間として-120点取評価している。

白昼夢

こういう経験や夢を持つことへの恐怖からかいつしか空白だった思考領域を白昼夢が埋めるようになっていく。例えば成功した人間の話を聞いたり見たりしたとき、そこから妄想の世界に入り、2,3秒の間に自分がそれを成し遂げるとしたらこうして、あーして、こうなるし、称賛されるだろうな、みたいな早送りの夢が頭の中で放映され、外の世界の刺激が全く遮断されてしまう。そしてその白昼夢の記憶は一瞬のうちに泡沫に帰し、思い出せなくなる。近頃こういうことが普通なのかどうか不安になってきているが実生活に異常がないので大したことはない。抑圧された欲望が夢に出るとかいう話をよく聞くが私の場合はわかりやすい。

大学受験の目的の話で言えば優れた学校に行く自分を想起し、それについて脳内で完結して毎晩満足していたのだろう。しかしラッキーだったのは実際に大学受験は失敗していないことである。

つづく‥ 急いで適当に書いたのでデスマス調がごっちゃですがゆるしてね就活の自己分析の備忘録みたいになります‥

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