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自分のスタイル(人生の漫画雑記:鬼滅の刃)

漫画の内容のネタバレを含みます

自分自身は何者でもなくて良いと悟ること

大病をしてから、沢山の書籍を読みました。
自分を大切にすること。愛すること。我欲を捨てること。赦すこと。己も他者も含めて

共通しています。伝えたいメッセージはだいたい似ています。

本来の自分に回帰するということは、なんだか当たり前そうで人類にとって難しい。

内観していて最終的に残るのって、「承認欲求」だったりするのです。
「生きていた証を残したい」「生きていていい役割をみつけたい」

「自我」アートマンの否定が仏教の真髄なのならば、生と死を見つめるときに最後の悪魔はその「自我」かもしれません。自分!じぶん!と何度も反芻していると身体がこわばるのがわかります。

深い呼吸も穏やかな気持ちも、どこかに行ってしまって目の前が暗くなります。

「何者かにならなければ、生きている意味がわからない」
結構そう思ってしまう方は多いのではないでしょうか?だから楽しく始めたものもいつのまにか色褪せてしまう。

私は、大病前からパニック障害に悩まされていました。
今なら、何者かにならなければいけないと必死だったのだとわかります。

治療中もそうでした。その漠然とした「生きる資格」を探して焦っていました。
他者を許してでも、自分のことがどうも許しきれない。

なぜなのか?なぜなのか?

その暗闇に一筋の光をくれたのは、息子が好きで私に勧めてきた「鬼滅の刃」でした。

ラスボスと戦う一つ前に「黒死牟」という鬼がいます。
神に愛されたかのような天賦の才のある弟に、人間時代の「黒死牟」は強烈な嫉妬をします。

そして、心を変化させていけば幸せになれたであろう全てを捨てて鬼になるのです。

ぜひ漫画を読んで欲しいなあと思うのですが、「黒死牟」は死闘の末だった一人で地獄に堕ちていく。

「これだけの研鑽をしても、これだけの犠牲を払っても私は何者にもなれなかった」
 
「教えてくれ弟よ。私は一体何のために生まれて来たのだ」

業火に焼かれながらの「黒死牟」の独白に、泣かずにいられなかった。
ああ、そうだ、私は「黒死牟」になりかけそうだったのだと。

哀しい虚しいその迷いの中から出られないことを「無明の闇」と言います。
わかってはいても現実の世界には、何者かにならないとと駆り立てられる事象て溢れています。

そんな時、私は心に住む「黒死牟」と対話するようにしました。

何者かならなくていいんだよ。
自分から焦ることはないんだよ。

そんなイメージが出来たことで、とても楽になれたように思います。

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