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軸の無い私はクリエイター失格なのだろう。

こうやってnoteを書き始めて2週間、今一番思うことと言えば、自分がいかに中身の無い人間だったのかと言うことだ。

私には能動的に伝えたい思想というのがあまり無い、それは私が無知であるからだし、無知な状態で知ったかぶり、話す愚を犯したくないからだ、そして実生活、社会と共存していく場合、無闇に敵を作らないこの性格は合理的であると思う、実際この性格で恩恵を受けた経験もある。

しかし、クリエイターとしては三流以下だ。

こうやって文字に自分の考えを映す時、大前提として必要なのが思想なのだ、それはたとえ間違えていたとしても、自分の思考の根幹として幹のように存在していればいい、だがこうやって数日書いてきて、自分の本質を問えば問うほど私の中にそれが存在しない事を明確に意識してしまう。

私の中には自らの思想という軸が無い、上辺だけの空っぽ、人の形をしただけの文字通り人形なのだろう。

つまらない人間に成り下がってしまった、前までの私は違かった、自分の中で確固たる価値観があった、そして自分の中に確固たる価値観が無いつまらない人間は必要無いと、本気で思っていたのに、気付いたらそのような意志も忘れてしまっていた、これを成長と呼ぶのなら私は成長などしたくなかった。

私には瞬発的な頭の回転の速さが無く、鈍感だ、感じた事、思った事をその場で言語化するのが苦手であるし、そもそも違和感に気が付かず「言われてみれば確かにおかしいな」と内心1人で納得する出来事も多々あった、だが思えばこれの根本的な理由も、ずっと認めたくなく直視せずにいた私に中身の無さが原因なのだろう。

軸の思想さえあれば、頭の回転はともかく鈍感にはなれない、noteのネタ切れの原因の主な理由でもある。

そして、もう一つ強く中身の無さを意識したのは、友達への劣等感だ。

私には1人曲を作る友達が居る、私は彼の事を心底尊敬しているし、私個人としては仲がいいと認識している、そんな尊敬できる友達は一年前からボーカロイドを使った曲を作っていて、私はファンの1人だ、そして昨日彼が投稿した曲を聞いて私は劣等感に心を征服された。

最初の感想は、「彼の曲だな」というものだった、彼の好みであろう重低音の効いたトラック、歌う初音ミクの歌声は低く重い、HIPHOP好きの彼らしい硬い韻の歌詞、もちろん技術は最初期とは大きく違うが、それでもやりたい事は変わらないのだなと思った。

だが気がついた、ああ彼はクリエイターなんだと、彼には自分の中に確固たる価値観と思想がある、きっとそれが自分の中で燻り続けて、やがてその身体の中に収まりきらなくなったのだろう、そして何よりそのエネルギーが変わらずにずっと存在している、私には無いものだ。

悔しくて情けなくて堪らない、私はいつから応援だの尊敬だのを思うようになったのだろう。

心底悔しいが現状の私には軸は無い、歌に乗せたい熱い想いも無い、でも辞めたくない、いずれクリエイター達に追いつく、負けたくない、おわり。

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