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【詩】題名「犬」

私は犬である、人間様とは根本を違えた畜生でしかない、社会性などという煩雑な物など私には到底理解出来ないのだ。

私の本質は犬である、詳しく言えば犬でなくても獣なら何でも良い、ただ人に足る何かを著しく欠如していて、そんな最中にありながら、両の手に余るほどの自由の扱いに、常に四苦八苦している。

私は犬である、私は獣の中では賢く、自分が人の形をしている事と、人の形をした者は人の群れでしか生きていけない事を認識している、だが私が人に似ているのは外側だけであり、中身の精神性に関しては獣のままで人と一線を画した物となってしまっている。

私は犬である、だが犬は犬なりに人というのの認識があり、私はその認識に沿うように行動すれば問題は起きないのを知っている、ただ犬畜生のちっぽけな脳では、なぜそういった行動を取るのかという行動の意味までは理解及ばぬのだ。

私は犬である、私が認識している人の習性の一つに自由を求めるというのがある、私には理解が出来ない、というより私だけでなく、私達、獣には理解が出来ない、何故ならば獣は自由を認識出来ないのだ、私達にあるのは人が本能と呼ぶ生まれ持った衝動しか無い、そして私は獣の群れの時のように衝動に身を任せると、煙たがられ、自由だと羨まれるのを知っている、自由を文字通り知らない私が、自由だと羨まれる事のなんたる皮肉だろうか。

私は犬である、故に縛った、遠くから見ても分からぬよう、近くから見ても気付かれぬように、私の精神の奥底にある獣らしい衝動を、さらに奥底に獣らしく掘って埋め封じ込めた、人が自由と呼ぶナニかは特に念入りに、そう、私達は人が恐ろしいのである。

私は犬である、だがまだ同族以外に犬だと看破された事は無い、この擬態が出来なくなったらどうなる事か、人の世で衝動を撒き散らしたその末路を私は知っている、それだけに私はその事が恐ろしくてたまらない、だがそれでも私が捨てきれなかった衝動がある。

私は犬である、私は飼い主が欲しい、私が生まれ持った原初の衝動の一つである、ただそれも単なる愛玩動物として檻の中に入れられるものではなく、私を上手く扱い、共に歩き、人間社会の一席に置いてくれる飼い主をだ、その為ならば何をしたって構わない。


他の獣を狩ろう、目となり耳となろう、外道を噛み砕こう、死んでこいという命令すら本望である。

私はそういった、人と共に歩ける同族に強く憧れている。


私は犬である、だが人の世に間借りしている、犬には人の世は複雑で生涯かけても理解する事は出来ないだろうが、もしその複雑な人の世を歩く貴方が何の奇跡か私の方を振り向いて私を見つけたならば、私も共に連れて行って欲しい、それが私の夢だから、私はいつまでも待っている。

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