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消えてなくなりたいと思っていた時の話と現在。

【はじめに】

これは大体8年前、中学生の私の体験談である、ただ興味のある者、不登校児を抱えるお父さん、お母さん、そして今不登校になっている少年少女本人たち、コレを読んだ全ての人に、少しでも何か気付きがあれば幸いである。

【本題:私の話】

私は中学一年生に上がったタイミングで学校に行く事が出来なくなった、要因は様々あるうえに、過去数年を振り返って書かなければならないので8割を割愛する、そもそも現在でも、幾つかを自分の中で消化出来ていない、なのでキッカケだけ書こうと思う。

私が学校に行けなくなったキッカケは、酔った父からの暴力だった

父はおそらく普通の父だと思う、私がこの父しか知らないので感覚がおかしいのかも知れないが、酒を飲んでいない父は、私にとってただの父親だった。

しかし酔っぱらった父は違う、酩酊状態の父には父にしか分からない独自のテンションがあり、その波に着いていけない場合、もしくはそのテンションの延長線で、私や妹を殴ったり、怒鳴ったりといった暴力を振るった。

多分当時も今も父にはそれが暴力だったという自覚は無いだろう、ノリの延長線上だった、悪酔いした、の一言で済まされると、その後の付き合いで確信している。

父にとってはその程度の認識でも、私にとっては恐怖でしかなかった、今必死で思い出そうとしているが、あの当時の事は記憶が真っ黒になったみたいに思い出せない、おそらく人間の防衛本能だろう、ただ残っているのは体が竦む程怖かったという事だけだ。

週に一回、父の休みの夜、私にとって最悪で憂鬱の夜、昼間の和やかな雰囲気が打って変わって父の機嫌を損ねないようとビリビリと空気がひりついた、父が寝たあと安堵と共に、その日の暴力の有無で一喜一憂した。

やがて妹が不登校になった、今に思えばストレスからの物だろう、そしてそんな妹を両親は許さなかった。

昭和生まれでその時代の教育しか知らない、凝り固まった考えの両親は、いじめ等の問題も無いのに学校に行かない妹を許さなかった。

毎朝怒鳴り、叩き、殴り、ワンワン泣き喚く妹を無理やり着替えさせて車に乗せ、引き摺るように登校させた。

私は毎朝両親の怒鳴り声と妹の泣き声を聞き、学校へ行く、家に帰れば2歳の弟を風呂に入れ、週に一回親父の機嫌を伺う夜が来る、そんな日を繰り返すうちに私は夜更かしが習慣化した。

後になって知ったがコレを「リベンジ夜更かし」と言うらしい、私にとって消えたくなるほど憂鬱な次の日が来る前に、少しでも1人の安らぎが欲しかった。

ただその行為と学校を両立する事は不可能だった。

やがて学校に行けなくなった私も妹と同じ仕置きが待っていた、左利きの母は私の事を左手で殴る、そうすると薬指の結婚指輪が当たり、私には身体中に何度もその跡が残った。

父に襟首を掴まれ強く揺すられるという最悪の景色で目覚めた事もある、だがもはや何かが麻痺していた私は、朝の暴力を切り抜ければ両親は仕事に行き、その間は安らげる、毎日それだけを頼りにして耐え忍んでいた。

ホント…マジで苦しかった、思い出しただけで気分が沈むが、ともかくこうして不登校児の私が出来上がった。

ある時いつものように心の修復作業としてYouTubeを見ていたら、あるゲーム実況者を見つけた、名前はれっさあ、その方はもう実況を引退してしまったが、その当時ポケモンの実況動画、そして生配信を行なっていた

私は小学校低学年の頃にはポケモンを卒業していて、最新作に触れてすらいなかった、だがその実況者の生配信を何故か見始めた。

私は不思議と、毎日生配信を見るようになった、やがてそこは心の壊れた私にとって憩いの場になった、同年代の奴から大人まで、男女年齢問わず色んなリスナーが居た、自分と同郷の実況者とのノリが噛み合ったのも大きな要因だろう、そこで触発されて買ったソフト、いつ何処で買ったかすら未だに覚えている。

そこは暗い中学生時代の中、唯一輝いていた場所だった。

やがてリスナーがTwitterのアカウントを作り、リスナー同士でのやり取りが始まった、コミュニティが1からスタートするあの熱気は、きっと死ぬまで私の胸を焦がすと思う、それ程に楽しかった。

暫くして、その実況者はYouTube活動をやめた、それに付随してコミュニティの人間も厳選されていった、居なくなる者もいたし、コミュニティの細分化も起こった、百人を超えた初期から時間をかけて、数人まで減ったが残ったそのメンバーは間違いなく友達だった。

私も中学生から高校へ行ったが中退し、フリーターになり、やがてニートになった、現実で何か上手く行く事は少なかったが、時間が経ってもインターネット上の交友関係は続いていた、きっと私はそのコミュニティで、かけがえのない物を得たのだ。

当時私を暗闇に突き落とした問題は解決しきっていない、それに今でも心は欠けたままだと思っているし、恨みも残っている、そして不登校になった末路である現在の自分にも後悔が山のようにある。

だが、それは問題の一つでしかないのだ、きっと渦中に居たら納得し難いと思うが、組織、友人、教師、場所、両親、兄弟、貧困、辛い理由がある場所だけが世界ではない。

クソみたいな出来事とは双六の罰ゲームマスの一つみたいな物だ、運次第でいつ、誰でもそうなる可能性がある、それはもう、誰にも、神様にだってどうしようもない。

ならやるべき事は、さっさと立ち直って、急いでサイコロを振るか、私みたいに別のゲームをやるべきだ、きっとそのマスでの出来事を忘れる事は出来ないけど、紛らわす事は出来ると思う。

別のゲームをやってみたら案外上手く行く事もあるのかもしれない。



気軽に言ってみたが、きっと一歩踏み出すのは重たいだろう、私も未だ燻ったままの当事者だから痛いほど分かる、だけどそうでも思わないと、今でも消えてなくなりたくなるのだ。

…正直、もう今まで何度輪っかを作ったか分からない、首にかけたことも何回もある、プラス思考になれて、今度は私が救おう!みたいな前向きな理由は、今の私の中にまだ無い。

それでも一度経験した、コミュニティが形成される熱さ、数人だけ残った宝物、それがもしかしたらまた、私の人生で起こるかも知れない、今見える唯一の救い、希望はそれしかないから、だからそれを発信したかった。

【おわりに】

全てをスッキリ出来る話じゃ無かったと思う、起承転結も曖昧だろう、全て脚色せずに実体験を書いたので、こう言った結果になってしまった、伝えたい事も私の中であやふやなので各々が自分なりに感じ取って欲しいと思う。

それと今、私はこのnoteという媒体を通じて、あの時のように新たなコミュニティを作りたいと考えています、本当にどんな人間でも歓迎しているので、相談事でもなんでも構わないので連絡して欲しい、TwitterのDMでも構わないので今が苦しい人、周りに苦しんでる人が居る人、逆にめっちゃ元気な人も、どなたでも連絡して下さい、あなたと私の新しい居場所を作りましょう。

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