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暗黒時代の同窓会に参加を決めた3つの理由

人生を振り返った時、あれは暗黒期だったなと思う時代が少なくとも3つはある。その一つが中学生時代。

勤勉で真面目なまきちゃんでどこでも通っていた小学生時代。中学校に上がった途端、友人の一人がヤンキー系になりその娘とつるみ始めた。ヤンキーになろうとしてもなれるわけもなく、中途半端な立ち位置やずる賢さがあだとなり、たちまち嫌われた。

3年間、ピンポイントで思い返せば楽しい思い出もあるのだけど、基本黒い。その後の暗黒期に比べるとマシなので漆黒とまではいかないが、まぁ暗黒に変わりはない。
 

良い思い出がたいしてない時代の同窓会に参加することを決めた。2回目の成人式、40歳のみなさん集まろうぜという自治体の会。


幹事は各中学校ごと。

先週1週間も実家に帰ったのに、5月にまた帰省。しかもひとりで。娘と夫はお留守番してまで。


わざわざ京都から九州に帰省して参加する理由はない。


でも決めた。



理由は大きく3つ。

理由の小さい順に書いてみる。


①幹事の子が頑張ってるし誘ってくれたから
当然、幹事は誰もを誘う。幹事の人と他数人の友が誘ってくれたのが嬉しくて行きたいと思った。(なんて単細胞な人間、めでたい)

幹事をする人は幹事をやりたいわけじゃない。だけど田舎の地元から外に出る人が多い街で、“地元に残っている”という理由だけで幹事候補数人になり、何かしら役割が回ってくる。幹事をしてくれるのがありがたいと思ったから。

私は参加するだけだけどさ、誰もいないより一人でも参加した方がいいかなの気持ち。実際、全然連絡の取れない人にも何度も電話して連絡を取ったりしてる話も聞き、せっかくだし行こうかなとなったよね。

②よそ者だけど嫌われ者ではないかもしれない
地元を出て20年以上経つ。必ず年に1~2回は帰省するものの、自分から小中学校時代の友達を誘って会うことはなかった。だって暗黒時代の記憶と感情が蘇るから。 

でも2.3度、何かしらの拍子に何人かの人と飲み会の機会があって参加したことがある。といってももう10年くらい前の話だけど。

数回だけど感じたことは同じだった。
よそ者の存在ではあるけれど、嫌われ者ってほどではないんだなと。大昔の細かいことを誰もが覚えているわけではない。自分の中では真っ暗闇の3年間だったことでその記憶だけが寂しさや怖さとして残っているけれど、他の人にとって、わざわざ嫌うというパワーを必要とするほどまでの認識はないんだなという気づきは大きかった。

“私は嫌われ者なんだ”なんて自意識過剰もいいところってやつ。

なんかホッとした。

ホッとする気持ちがでたからか、ここ数年の帰省ではたまに誰かに連絡するほどにまで変化した。



③自分の生き方に自信ができた
ぶっちゃけこれが一番の理由。自分の生き方も、自分自身そのものも好きになれたのだ。誰から何を言われようと関係ないし言われることもない。昔の自分だったら独身だったら肩身が狭いとか、せめてキャリアだけはちゃんとしてなきゃとか、他人からどうみられるかとかを間違いなく気にした。

今も気にならないと言ったら嘘になる。
私は結婚したくて結婚ができたから自信になった、という事実が大きく、それ以外のことが気にならない。


それに自分が何を好きで、どんなことを大切にしているかを理解している。自分の好きを貫こうとするとリスクを取る必要があるんだけど、リスクをも選択できる(選択させてもらえる)パートナーがいる。

えっ、それ最高やん。
みたいな流れを感じる。


自分の人生グー!みたいなテンションだからこそ、暗黒期の同窓会に参加しようという気持ちになったんだな。


だって、めっちゃ楽しみとなってるわけではない。そういえばあの学校の幹事とは、喧嘩別れして会ってないままだなとか、お世話になった担任とすら会うのは気が重いなとかあるもんね。

でも誘われた時にふと流れた「あっ参加しよ」の感覚は間違いなさそうだから参加してみる。


さて、5月に参加した後はどんな気持ちになってるかな。体験や感情が楽しみだからこそ事前の気持ちをしたためてみた。


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