見出し画像

#91 ジプシーとお金

※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです

「ジプシー」と聞いて、一般的な日本人はどういう人たちを思い浮かべるんだろうか?
少なくとも日本で生まれ育って長く暮らしている日本人にとっては、ほとんど馴染みのない存在ではないか。わたしの場合、子供の頃に好きでよく観ていた人形劇に出てきたキャラクターの影響で、旅に出る前は完全に踊り子あるいは大道芸人のような人たちをイメージしていた。

Wikipediaによれば:
「一般にはヨーロッパで生活している移動型民族を指す民族名。転じて、様々な地域や団体を渡り歩く者を比喩する言葉ともなっている」「近年の日本においては、「ジプシー」は差別用語、放送禁止用語と見做され、「ロマ」と言い換えられる傾向
にある。しかし「ジプシー」には「ロマ」以外の民族も含まれているので、これは他のジプシー民族を無視することになる」

まぁ定義はさておき、ヨーロッパに来てみると「あそこはジプシーが多いから気をつけて」と言われたことは何度もあるけれど、「ロマ」という表現はあまり聞いたことがないから、相変わらず「ジプシー」という呼称を使っている人は多いと思う。そしてこのような言い方をする場合、民族云々よりも「職を持たずに、物乞いやスリや窃盗をして暮らす人々」を指している。逆に言えば、ロマ民族の中でも職を持ち、定住して自分で生計を立てている人たちは(いったいそういう人がどのくらいの割合なのかはわからないけれど)、「警戒すべき対象としてのジプシー」には含まれていないのだと思う。

日本に住んでいた時は全く馴染みがなかったけれど、ヨーロッパからコーカサスまでを約7ヶ月に渡って旅してきた今の時点で、このジプシーたちを全く見なかった国は、残念ながら一つも無かったように思う。そして旅人のわたしにさえも、なんとなくその顔立ちや肌の色から、彼らの特徴が見えてきた。

典型的なのは、赤ん坊を抱えていたり小さな子供の手を引いたいかにも母親の姿で、手の平を差し出してきたり何か食べる仕草をしながら「食べ物を買うお金をちょうだい」と訴えてくるパターン。あるいは、子供だけでフラフラと近寄って来ることも多い。
一見、相手が大人の方が怖そうな気がするけれど、わたしの場合、相手が子供でしかも複数で寄って来られる方が怖い思いをしたことは多かった。相手が大人(ほとんどの場合は女性)だと「No!」という態度を明確に示せば、しつこくつきまとわれることはなかったけれど、子供の場合、わたしの腕に触れたり、洋服の端を引っ張ったり、通せん坊をするような格好で行く手を遮られたりしたことが何度かあった。大抵は日中の人通りの多い場所だったので、近くにいた人が強い口調で何かを言いながら追い払ってくれたから良かったけれど。ある時などは、小さな女の子が何かヒステリックな感じで叫びながら、かなり強い力でバッグを引っ張ってきた。その時は、多くの人目があったからだろうか、近くにいた同じジプシーの母親のような女性が強く叱りつけるようにわたしから女の子を引き離してくれて助かった。

道端での出来事だけじゃなく、オシャレなカフェやレストランにいる時に、テラス席や店の中まで彼らがふらっと入ってくることも、国によっては頻繁にあった。そういう時、地元の人らしきお客がすぐに追い払わず、小銭をあげている姿を初めて見た時は本当に驚いた。あるいは出てきた店のスタッフが注意して追い払うのだけど、その時に自分のポケットから出した小銭をあげるのを見たことも少なくない。

わたしは、と言えば、いわゆる物乞いにもジプシーにも、お金をあげたことはない。小銭をポケットに入れて歩く習慣がないので、わざわざお財布をバッグから取り出すのが嫌(その一瞬だとしてもなんとなく不用心な気がする)というのもあるし、よく言われる「目の前のこの人だけじゃないんだから、キリがないから」というのもある。

でも最も大きな理由は、わたしの中に「何もしないで、ただお金だけをせがむ人」にお金をあげることに対して、強い抵抗感があるからだ。自分を含め多くの人にとって、お金は「自分が提供した労働への対価として得るもの」だと思っている。同じお金をせがむとしても、まだ押し売りガイド(勝手に付いてきてガイドをして最後にお金を要求する)の方が納得がいく。もちろん腹は立つけれど。

こんな風に思うのは、日本という世界の中でも福祉の充実した国で生まれ育ってきたからだろうか。何かやむを得ない事情で「労働の対価」としてお金を得ることができない人には、国がそれなりの支援をしているはずで(昨今はそのやり方が色々と問題になっているけれど)、その財源になる「税金」を私たちが担っているのだ、と。
そして、日本にはいわゆるジプシーはいないけれどホームレスは場所によっては沢山いて、でも彼らが道行く人にお金をせびっている姿を見たことがほとんどないからだ。誤解を恐れずに言えば、過去にわたしが日本で見たホームレスは、海外に来てから見たジプシーや物乞いよりも、はるかにみすぼらしい格好をしていて、明らかに衣食住での不自由度は高そうだった。それに比べてヨーロッパで見かける彼らは、日本の”ホームレス”と聞いて思い描くイメージよりも、ずっと若く、五体満足で、働こうと思えば身体的には働けるはずなのに「なぜ、何もしないで当然のような顔でお金をせびるのか?」と思うのだ。

けれど海外では、ジプシーや物乞いにお金をあげている人の姿を本当によく目にする。
もちろん彼らが毎回必ずあげているわけではないだろう。ポケットの中に小銭があるか無いかで違うのかもしれないし、単にその時の気分によって態度は違うかもしれない。裕福そうな人が強く拒絶している一方で、普通の人がお金を渡す姿を見ることも多々。
往々にして、福祉がそれほど充実してなさそうな国の方が、お金をあげる人の姿をよく見る気がするから、国を当てにできないことによる「相互扶助」の精神からくるのかもしれない。あるいは宗教的なことも関係あるのか。

ある時、宿で一緒になった旅人たちと話していて(その時いたのはイスラエル人とクロアチア人)、「日本にジプシーはいる?」と聞かれ、「いない」と答えると、「じゃあ、ヨーロッパに来てから初めて彼らの臭いをかいだでしょ? (笑)」すぐに笑って「冗談よ!」と言いながらも、その後かなりきわどい会話が続いた。
そんな会話をしていた彼らが、道端でジプシーにお金をあげることがあるのかどうかは、わからない。少なくとも、日本人よりもずっと身近にジプシーの存在がある人たちの中でも、容認(あきらめ?)と嫌悪の度合いは違いそうだ、と感じた。

いずれにしても、見ず知らずの他人に「単にお金を渡す」という行為を見る度、いまだにわたしの中には違和感が芽生える。そして、お金を渡す時のその人たちの気持ちの根源には何があるのか知りたい、と思うのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?