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#95 アルプスを越えよ

※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです

ヨーロッパに来たら必ずやりたかったことの一つ、イタリアとフランスの国境アルプス越えすること。

なぜそんなことをやりたくなったかというと、古代カルタゴの猛将ハンニバルがローマに攻め入った時(※)通ったルートを、自分もたどってみたいと思ったから。
実際には2000年以上も前のことなので、学者の間にも諸説あり、現在に至ってもその確実なルートは特定されていないらしい。そして現実的に、80リットルのキャリーケースを引きずっているわたしが、猛将が踏破したルートを徒歩でたどるのは不可能なので、それは泣く泣く諦めて、列車でアルプスを越える方法を探すことにした。

イタリアもフランスも鉄道網は充実していると聞いていた。だからアルプス山脈を通り抜けるルートも簡単に見つかると思っていた。けれど、これが意外と大変だった。
イタリアの鉄道会社のサイトでトリノからフランスのニースに抜けるルートを検索すると、当時出てきたのは、いったん南東に向かってアスティ(Asti)からアレッサンドリア(Alessandria)を経て、さらにジェノバ(Genova)に向かって南下。その後は海沿いを進み、サヴォナ(Savona)とサンレモ(Sanremo)を通ってニースに向かうルートばかり。地図で確認してみると、これではアルプスらしいアルプスを越えることはできない。

あれこれ模索していて見つけたのが、次のルート。
トリノからクーネオ(Cuneo)まで行き、ここで乗り換えて、ヴェンティミーリア(Ventimiglia)まで南下。そこからフランス国鉄に乗り換えてニースまで。前述のルートだと、乗り継ぎ待ち時間を含めても約5時間のところが、このルートだと乗り継ぎがあまりスムーズではないため、約7時間かかってしまう。だから単純な検索で出てこなかったのは当然かもしれない。

けれどこのルートを採ったことは、わたしにとっては大正解だった
乗り換えの待ち時間にクーネオの駅のホームをぶらぶら歩いてみた時、すでに、遠くに見える山の姿に感動。
ヴェンティミーリア行きの列車に乗り換えてからは、文字通り、窓に張りつくようにして逆走していく山々を眺め、夢中で写真を撮った。

トンネルの数が多くて、しょっちゅう視界を遮られるのが玉に瑕(きず)だったけれど、これは山脈を越えて走っているので当然のこと。ローカル線なので駅に停まるのは頻繁なのに、停車時間が短い上、発車の合図の警笛があるわけではないので、怖くて降りられず、ただただもどかしく、うずうずしていた。

2000年以上も前の歴史に刻まれたある時、猛将ハンニバルが、逆ルートで(彼はスペインからフランスを通って、イタリアのローマに攻め入った)、この近くを通ったかもしれないことに思いを馳せながら、窓越しに通り過ぎていく濃い色の山々の風景を眺めているだけで、心はぐんぐん高揚していった。
長く旅をしていても「この風景に出会うために、ここまで旅を続けてきたんだ」と心から思える瞬間は、そう多くはない。でもこのわずか数時間の列車の旅が、わたしにとって、確実にその一つになった。

そして極めつけ。
最後の乗り換えのために降りたヴェンティミーリアでは、乗り換える予定のニース行きの列車が遅れていて、ぽっと時間ができてしまったので、駅舎を出て歩いてみることにした。はなから見るつもりのない町だったので、何があるかもわからず、夕方のこの時間に女一人で歩いて大丈夫なのかもわからず、かなり恐る恐る。
けれど、全く期待も予想もしていなかっただけに、黄昏時の海沿いの散歩道が素晴らしく、さっきまでのアルプス越えで感動したばかりなのに、「これはいったい何のご褒美だろう…」とつぶやきたくなるくらい、ただため息をついて見惚れてしまった。

***

ちなみに、ヨーロッパに来てから、乗り物の車窓で感動したもう一つの体験は、インスブルック(オーストリアの最も西のチロル州にある街)で乗った登山トラム。
これについては直前まで全く知らなかったのだけれど、下調べをしていた時にあるWEBサイトで「6番線のトラムがまるで登山列車のような絶景」という記述を偶然見つけたことで、興味を持った。
「まぁ、絶景と言われる所は大抵あれだよねぇ…」と、あまり期待はしていなかっただけに、驚きと興奮もひとしおだった。インスブルックでは48時間有効のインスブルック・カード(一部の美術館やトラムやバスが乗り放題になる)を買っていたので、滞在中、この路線に二度も乗ってしまった。

トラムだと、列車よりも車体がコンパクトで運転席にもうんと近づけるので、通り過ぎていく車窓だけでなく、前方に曲がりくねって伸びていく線路の上、林の間を分け入って進んで行くのを、まるで自分が操縦しているかのような臨場感を持って感じることができるのだ。氷河急行のようにこれ自体が観光列車な訳ではないので、それほど混むこともなく。インスブルックに行く人がいたら、わたしとしては是非ともお勧めしたい。

***

ちなみにちなみに、評判の乗り物の車窓で、逆にがっかりしたのはバール鉄道。
わたしは鉄道マニアでは全くないのだけれど、ヨーロッパに来てからは「あの列車の車窓がイイらしい」と聞くと、多少遠回りしてお金と時間がかかっても、見に行ってみたくなる性分にいつの間にかなっていた。
バール鉄道は、セルビアのベオグラードとモンテネグロのバールを結ぶ鉄道。元々は旧ユーゴスラビア時代に、内陸の首都ベオグラードとアドリア海に面する貿易港のバールを、他国を経由せず最短距離で結ぶという戦略的な目的で造られたらしい。完成時は全線走破で7時間程度だったのが、現在は10時間を要するというシロモノ。

その時、セルビアからモンテネグロの港町コトルに向かっていたわたしは、終点のバールではなく、手前のポトゴリツァまで乗ってみた。結論を言うと、わたしの中では「どこが絶景なんですか??」と両肩を掴んで揺すりたくなる感じだった(誰のだ?)。かろうじてコラシン(Kolašin)辺りで、深い森の中に掛かる鉄橋が見えた時には「おっ!??」と思ったけれど、既にかなり暗くなっていたのであまりよく見えず。それ以外は、別に悪くはないけれど、ごく普通の田舎の車窓で、わざわざ見る
ために乗る価値は全く感じられなかった。

後からもう一度調べてみると、やはりコラシン辺りが一番の見所らしいので、もしこの路線に興味がある人がいたら、わたしが乗ったのとは反対方向(モンテネグロからセルビア行き)で、しかも10時間かけて全線走破する必要はなく、前述のコラシン辺りまでで良いのではないかしら?と、是非ともアドバイスしてあげたい。

※BC218年、カルタゴ(現在のチュニジア)の名将ハンニバル・バルカ(BC247/246-BC183)が、歩兵3.8万人・騎兵8千騎・象37頭を引き連れてアルプスを越え、ローマに攻め入った。行軍ルートの概略は、カルタゴの領土だったスペインからピレネー山脈を越え、南フランス、ヨーロッパ・アルプスの峠を越えて、イタリア平野に侵入。そこからカンネー、トラシメネス湖畔、ローマ周辺の各地へと進んだ。前年の残雪がまだかなり残る10月のアルプス越えの行軍で、兵力は半減したと言われている。ハンニバルが象を引き連れて越えたヨーロッパ・アルプスの国境峠は確定されてはいないものの、トラヴェルセッテ峠(Traversette)が最も有力と言われている。
この峠は、わたしが列車で越えた国境から見ると北西に位置している。

クーネオの駅のホームから見えた山々
窓越しに通り過ぎていった山々
窓越しに通り過ぎていった山々
窓越しに通り過ぎていった山々
ヴェンティミーリアの夕闇の小散歩
ヴェンティミーリアの夕闇の小散歩

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