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子供の力。

先日、不登校の方や親御さんに向けてのお話会に、元当事者として娘が登壇した。

娘が話すのを、親として聞く話でなく、第三者へ向けての話として聞くのはなかなかない経験なのでおもしろかった。

親に対して話すのと、ほかの人に向けて話すのと、話したいことも違うだろうし、人に話すために振り返ったりまとめたりもしているだろうし。
多分親子で話したなら聞けていない話も聞けたのだと思うし、当時聞いていたのと、今振り返って話していることとは、印象が違っていたりもした。
娘の視点と私の視点では見えていることも違うし(学校内のことだとそもそも親には見えていないことも多い)、同じことについても、どこが印象に残っていたかなどは違っていたりもした。

なので、こういう客観的に話を聞くって機会はいいなと思う。
お互い、理解も深まるだろうし、意外なことを知ったりもできるかもだし。
第三者に向けてなのと、過去の話なので振り返って話せるのと、どちらの意味でもよかったのだと思う。

我が家は不登校などでかなりごたごたしたりもしたけども、とりあえず現在は問題なく過ごせている状況だ。
問題あるかどうかについては側から見たらどうなのかわからないけど。

話を聞いていて、私が、こういうスタンスでできたらいいと思う意図が娘にだいたい伝わっていたように思うし、娘がそれを受けてそれ以上に考えてる感じがした。
伝わっていたことに安心もしたし、いろいろ考えていて感心もした。

なので、我が家がとりあえず問題なくすんでいるのは、娘の理解力だとか大人の意図を読み取ってくれているからだとか(当時は無理でも後からでもわかってくれるとか)、そういうのに恵まれていたからだろうか、とも思ったのだけど。
そうでもないかな、という気がした。

娘が理解してくれたからではない、という意味ではなくて。「娘ががこういう子だから」でなくて、子供ってみんなそれくらいの力を持っているのではないか、という意味で。

多分、言語化できるかどうかとか、ある程度大きくなって振り返って考えられたから話せているかどうか、くらいの差しかなくて、子供はそれぞれみんな、かなりいろいろと受け取ってるし考えているのではないかと思う。

受け取ることや考えることやそれが言葉になったり行動になるペースなどが、大人の思いどおりにならないだけで。
(というか、そもそも人なんて大人同士だろうがなんだろうが本来思いどおりにならないものだよね。なぜか子供のことは思いどおりにしようもするし、させるのが当たり前みたいにもなってしまうけど。)

子供を育てたことがあれば、意外と見てるな、考えてるものだな、と思うことなどあるのではないかと思う。
自分が子供だった頃のことを考えても、大人が想定してる以上にいろいろわかってるけど!と思ったりしてたよね?

きっと子供は、大人が思うよりずっと、なんでもできるしなんでもわかる。

だからやっぱり、子供の力をもっと信じていたらいいよねと思うし、子供の力を信じていたらもっと力を見せてくれるのではないかと思う。

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