やり続けていたら自然になる。
知人と話をしていたとき、
「グラレコはどうやって描いているの?」
と聞かれた。
どんどん描いていくのはどうやって描くものを決めたり考えたりしているのか、というところが気になったみたい。
そのときは、
「話を聞いていて
話の中からこのキーワード、というのを拾って
それを絵に描くならどんな風かを考えて
それを描いていくだけ」
というような答えをしたと思う。
だけど、なんかちょっと違う気もして。
そんな風にいちいち考えてるかな?と思って。
はじめの頃はそうだったかもしれないけど、今そんなに考えている気がしない。
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そのあと描いていたときのことを思い出してみたのだけど、少なくともステップ追って考えてはいないと思う。
どちらかというと、そんな風に順に考えていくのは、イラストを描こうとしているときだ。
このnoteのヘッダーとかに描くような、何か文章に合わせて描くとき。
グラレコ描くときは、あまり何も考えていない気がする。
ただ描くだけ。
メモ取るとき、そんなに何も考えずに、聞いたまま書いていくと思う。
漢字で書こうとかひらがなで書こうとかいちいち考えずに、さっと書けるのを書いてると思う。
気になった言葉とかを特にメモしていくと思うけど、これが気になった言葉だとかいちいち考えない。
気になってメモでも強調しておきたくなると、線を引いておくとか、自然に自分の癖になっている書き方でわかるようにしておくと思う。
気になったところだから線を引いておこう、とか考えていたりはしないよね?
なんとなくそうしてるものじゃない?
そんな感じで、ただ描いていて、文字より絵が思いついたら絵を描くし、文字描きながら絵が浮かんだら絵も足すし、絵が浮かばなかったり描く時間がなかったら文字のみになったりする、くらいの感じ。
気になったり話が変わったりしたらわかるように色変えたり囲ったりするし、話をつなげたいときには線をひっぱるけど、気になったからこうしようとか考えているわけではなくて、なんとなくそうしているだけだ。
色味とか見て足したくなって足すのとかはあるけど。
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グラレコについて聞かれるときに、ただ描くだけとか、丸と三角と四角と線を描いてるだけとか言うことが多くて。
それだけじゃないでしょ?とか、それが難しいんだよ、とか言われるのだけど。
でも、ただそれだけ、なのだと思う。
グラレコに限らず。
私は話すのが苦手で、人前で話すときにはどう話そうかとかどうしたらいいかとか考えるけど。
前に出て話すのに慣れてる人とか、講師や先生とかって、いちいち話し方とか細かく考えないと思う。
店員さんがモノを売るときに、売るときの言い回しとか態度とかをいちいち細かく考えないだろうし。
シェフがいちいち料理するときの手の動かし方を考えたりしないだろう。
元アナウンサーの知人は、仕事の癖で、メタ視点でいつも自分を見ていて見え方チェックしているのがあたりまえになっていると言っていた。
それと同じようなことだと思う。
なんでもやり続けて慣れたら自然にやっていて細かく考えていないものじゃない?
逆に、自然にできるくらいにならないと、できると言うのには足りないのかもしれない。
まだまだ自然になっていない部分が多いから、もっとやって慣れて身にしみこませたいと思う。
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