見出し画像

切り取って残したいのに、残そうとするほどこぼれ落ちるというパラドックス。

これ!という一瞬を切り取る、というのがすごく好き。
絵でも文章でも写真でも手段はなんでもよくて、ただ、自分の思ういい感じに切り取れるのが嬉しくて、好きな瞬間を残したいと思う。 

*

好きな瞬間を残したい、なので、
どれだけ自分の思うような瞬間をつかみとれるか、どれだけつかみとったものをそのまま残すか、そこに全力を投入している。常にそのように考えているわけではないけども、あ!と思ったときには自然にそのスイッチが入っている。
どうやってこれを切り取るか残すかという計算が走るとともに、全身で情報を収集している感じ。
もしくは、見た聞いた体験したあとに、これ残したいなぁと思って、そのときの記憶を呼び起こしていく感じ。

*

切り取る、のは、私の場合2種類ある。
ひとつは、その後ほぼ編集しない、という前提で、これ!という箇所をぴったり切り取ろうとする場合。
写真とか動画撮るとき。特に写真かな。

もうひとつは、その後編集するための材料として、ここらへん、こんな感じ、と大きなくくりでざっくり情報を取ろうとする場合。
(大きなくくりでざっくりといっても、場やシーンの単位、雰囲気というような曖昧さ、という大きくざっくりであって、取りたい情報は細かいのだけど。)
記憶しておいたことを文章やまんがやイラストで表現するとき。

*

ぴったり切り取ろうとするときは、その瞬間をいかにとらえるか逃さないか、が醍醐味だ。
逃したら手に入らない緊張感。
これ!と思う瞬間を見つける準備。 

子供の行事とかスポーツとか、撮るぞと決めて撮るときは、どう動きそうかどこに動きそうか、予測して狙いつけておく。
人を撮るときは、私は、相手が撮られるとわかってぴしっとしてたりポーズ取ってたりしてた、それがゆるんだところを狙う。ぴしっとしてるのもそれはそれで撮るけど。
風景とかを撮るときは、ふと目に入ってこれと思ったらすかさず。光や風や影などすぐ変わってしまうから。立ち位置とかで好きな角度に切り取れるようにはするけども。

何が(どんな写真が)撮れるかは事前にはわからなくて、何か撮りたいものがあった、撮りたい瞬間がきたときに、その瞬間をとらえるしかない。だから、つかみとれるか?という緊張感が楽しい。

*

文章やまんがやイラストは好きなように切り取って編集できるところが楽しい。
写真と違って物理的な制限がない分、どこに焦点を置くかどんな切り口にするか、自由にできる。
視覚だけでなく、音や感覚や雰囲気なども表現できる。

自分の思いつく限り自分のできる限り自分で工夫しきれるところがおもしろい。表現したい部分のどこにこだわるか、表現のしかたのどこにこだわるか、人によってばらばらなのも楽しい。

同じシーンを見ていても、人によって見えるものが全然違うのもおもしろい。興味あるところや気にしていることが違うと、目に入るものが変わるから。

自由度が高い分、どこをどう切り取ってどう表現するかという点が、自分の表現力や感覚を問われると思うけど。
そのプレッシャーもありつつも、自分はどう表現したい?を考えるのは好き。

*

だけどいくら全力を尽くしても
切り取ったら、切り取っただけのその範囲でしか記録できなくて。

写真で切り取ったら、その瞬間の画像は正確に残るのだけど、画像として人やものや風景や空気感がうつしとれるだけで、それ以外の情報は落ちてしまう。
(空気感は、写せるものではないかもしれないけど、私はうつりこんでると思っている。)

文章やまんがやイラストは、自分の思うように表現できて、思うようになるまで表現を工夫できるけど、言葉や形や線や色などでは表現しきれないものもある。
めちゃくちゃ考えてちょうどよい表現が見つかったように思っても、やっぱり感じ取ったものすべてを表現するのは無理で、スキルが足りないだけでなく、人が感じ取る受け取るものをまったく同じに表現はできないものなのだと思う。
表現できない部分が、抜け落ちてしまう。

その瞬間その場にいてリアルに身体で感じるものというのは膨大すぎる。

*

どんな手段を使っても、実際に感じたこと受け取ったことは残しきれない。

どんな手段でどれだけがんばっても、こぼれ落ちる部分が出てくる。

自分の感じたこと受け取ったことを、見たもの聞いたものを、伝えたいもの記憶に入れておきたいものを、のんとかして記録しようと、がんばってみるのだけど、がんばっても結局は完璧でなく、頭の中にあるイメージが1番正確だ。
それでさえも、自分のフィルターで補正されてはいるけども。(そもそも自分がこれいいなと思った時点でフィルターかかってるから、記録に残したいものはフィルターかかった情報なのだと思う。)

残したくてがんばって記録するのだけど、記録した時点で、そこで表現できずにこぼれ落ちていったものが、記憶からも落ちていくように思う。
記録した内容が、表現できた範囲が、そのとき感じた受け取ったものすべてのように、記録とともに自分ごと編集されてしまうように感じる。

*
だから、これ!と思う瞬間を切り取って残したいのに、切り取って記録したら、これ!という瞬間がどんどんこぼれ落ちていってしまって、さみしくなる。
切り取って、そのまま頭の中にそっと保存したい。
頭の中に保存していても、それはそれで劣化していくのだけど。

残せないからその瞬間が尊いのだとも思うのだけど、やっぱり残したい気持ちがあり。
記録してみたり、頭の中のストックにとどめたり、そのときどきで迷いつつ、こぼれ落ちていくのをなす術もなくただ見ているしかない、もどかしい気持ち。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?