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ゆるくつながり続けること。

年末最終日、それまで半年間一緒だった仲間たちがいったん解散して、そしてまた年始にそのみんなでつながった。
単に、Facebookグループでは区切りがきて終了し、LINEグループつくっただけなんだけど。
せっかく濃くつながれたのに、そのまま終わってしまうのさみしいなと思っただけなんだけど。

終わりだけどそれぞれのここからでもあって、その後の話もお互い知れたらいいなと思うし。
このメンバーでのこのチーム感だから、そのかたちのままのつながりを残しておきたかった。

もちろんその中で今後いろいろ変化はしていくからそのままではないんだけど、いったんグループにしてみてもフェードアウトしたりぬける人がいたりもするかもだけも、これまでと同じメンバーで似たようなかたちでおいておくのがしたかったのだ。
なんとなく変化していくのと、そこで終わったりしてしまうのと、違うじゃん?

場をつくるとか、人を集めるのとかは苦手だし、友達とかなんでも話せる人とかがめちゃくちゃ少ないので、逆に心地よい感じのつながりができると、それをキープしようとする癖があると思う。

すごくがんばってチームを保つとかつながり続けるとかではなく、ゆるくつながれるような感じ。
今回みたいに、とりあえずグループつくるとか連絡先交換しておくとか、ときどきそこにメッセージ投げるとか。

今回に限らず、とりあえずまずやりとりしやすくしておくっていうのはちょこちょこしていると思う。
何かやりたいねとか、集まりたいねって話とかが出たら、すかさずメッセンジャーグループつくったり、やりとりはじめたりする。
検討とかの途中でとまったら、再開するかどうするかとかをつついたりする。

でも、そのつながりを自分が気になる範囲で保とうと声かけたりするくらいで、積極的に働きかけて盛り上げたり進めたりとかはしない。
(できないからやらないし、できるようになりたいとも思わない。)

つながりを保っておきたいはずなのに、積極的に働きかけないのは矛盾しているような気もしつつ、でもそれ以上のことはやりたくないんだよな。

そこにいる人たちの意図なりエネルギーなり、そういうものが大きくなれば自然になんとなく動きが起こる気がするから。
そうでないのを押したりひっぱったりというのが、不自然に感じてしまう。

そこで起こることや発せられるものは拾いたいけどそれだけ、というのは、グラレコとかキャリコンとかでただうつすだけで介入しないというのと同じような気もして、だからそういう関わりが、私のやりたいことなんだろうと思う。

何かが起こるかもしれないし何も起こらないかもしれない、でもつながりがあればそこに何かはある、みたいな、不確定でわからないのが楽しいと思うし、だからとりあえずゆるい場をおいておきたいのかな。

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