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人に思いどおりにしてもらえるものじゃない。

ただ何かを受け取る、一方的に何かを頼んでやってもらう、などというのが苦手だ。

それなのに、いざ頼んだり受け取ったりするときには、自分の思うようにしてもらいたいと思っているのに気づいて、傲慢でわがままだなぁと思った。
なかなか言わないのだから言ったら聞いてほしい、せっかく何かしてくれるなら私の希望どおりなってほしいと思って、頼んで期待していたのと違う反応や対応だとがっかりする。
勝手に期待しているだけで約束でもなんでもないのに。
勝手に期待して勝手にがっかりするくらいなら、さくさくたくさん頼んで思うとおりにいかないならそれはそれでいいやってくらいの方が迷惑でないかも。

相手は相手の思うように、何かをしたりしなかったりするわけで。
自分の想定どおりにしてもらいたいと思うのが間違っている。

察してほしいというのは無理な話で、察してもらえるかもわからないし、察したつもりで間違えるかもしれない。
そんな曖昧で不確実なことで何か思うとおりになるわけがないよね?
こうしてほしいと思う、明確な言動があるなら、わかりやすくわかるように伝えたらいいと思う。
それでも、どんなにわかりやすく伝えたつもりでも、人が自分の思うように動いてくれるとは限らない。

こうしてほしいとそのまま伝えたら少なくとも伝わりやすくなるけども、どう受け取るのかは相手次第だし。
受け取った結果、どのように動くか動かないかも相手次第だし。
こうしてほしいという思いに応えようとした行動が、自分のイメージと相手のイメージでは一致してない可能性もある。

自分が想定する形と違っても、相手が全力で応えてくれているというのがあるのだな、と、やっと気づいた。
思うようにしてくれないのは、やる気がないとか、聞いてないとか、スキルが足りないとか、そういうわけではなくて。
その人の思うベストが、自分とは違う切り口だったり手段だったりするだけなのだろう。
同じ言葉を聞いたり同じ物語を読んだりしても、解釈が人によるのと同じこと。

私は、これが普通だろう、と言われるのがめちゃくちゃいやなのに。
こう言ったらこうするのがあたりまえだろう、などと言われると、あなたの中であたりまえでも私の中では違うわ!って思うのに。
私がイメージしていることと同じことをしてほしい、というのは、それらと同じことなのだと思う。

だから、もし、こういう風にしてほしい、と具体的に伝えて、そのまま対応してもらえたとしても、それはなんか違うんだろうと思う。
そのときそれで満足するかもしれないけど、それはそれだけで、相手のエネルギーを受け切らないままになる気がする。

よく考えたら、たとえば何かを描いてと言われたり、資料をつくってと言われたりするときに、詳細具体的にこれをこんな風にと指示されていると、やる気もなくなるし、そもそも私の仕事でなくなってるし、それなら自分がやればいいじゃんと思うし、まったく全力を出しようがない。
それと同じようなことだと思う。

よく、宇宙へのオーダーをするときは(神頼みとかも)いつどんな風に実現されるものなのかわからない、という話があるけども、人に頼むというのもそんなものなのかもしれない。
そんなものがうまく噛み合ったり合わさったりするから、おもしろい何かが生まれるのかもと思う。

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