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安心があるから全力が出せる。

私の中に未完了のプロセスがたくさんある、という話になったのは、もともと、自分が何かやろうとしても何かやっててもやりきれずに終わるし、感情を感じても出しきれずに終わるし、何かがずっと残ってしまう、って話をしたことからだった。

小さい頃もだけど、今の方がひどいような気もしていて、やりきれた、全力出せたと思うことがほぼない。

と思っていたけど、そういえば、最近、やりきったと感じられたことがあったのだった。
やりきったというか、過剰な気はしつつストップかけないでやり続けて、全力出したなと思えたこと。

wisdomイベントでSNS投稿を担当して、X(Twitter)でひたすら実況中継ツイートしまくったのだった。

もともと、SNS投稿スタッフはなくて、やりたいと言って担当させてもらって、マイクランナーとかけもちで担当だった。
SNS投稿は、FacebookページとX(Twitter)に、ポイントとなるようなところを投稿しておいて、参加してないけど気になっていた方やイベントに気づいてなかった方が興味持って見てくれたり、アーカイブ視聴を申し込んでくれたりするのが狙いだった。

イベント開始くらいまでは、そろそろはじまります、はじまりました、最初はこんな話から、とぽつぽつ投稿していたのだけど。
なんかもうどこがポイントとかわからないくらいに全部いいお話だし、会場のみなさんの様子も残したいし、すごいスピードで話が進むのでポイントがどこか整理してまとめる余裕もないし、もう書けるだけ全部残せばいいじゃん!と思ってどんどん書きはじめてしまった。
書きはじめたらスイッチ入って止まらなくて、最初はFacebookページも投稿してたけどX(Twitter)に絞り、マイクランナーもしようとしながら投稿してたけど、いつのまにかほかのメンバーが変わってくれていた。

一応役割として担っているからっていうことや、イベント終わったらちゃんと終われるっていうのも、スイッチ入れられた理由だとは思うけど、さらっとスイッチはいったのは、ほかのメンバーへの信頼があるからだと思う。

思いっきり全力でやっても、怒られないだろうしばかにされないだろうし、いったんやらせてくれるだろうというか。
役に立つかわからないけど、絶対に、ただ否定されるってことにはならない。

あたりまえといえばあたりまえだけど、全力出しても大丈夫だと思えるからやってみれる。

とか書いてみたけど、後から思えばそうだというだけで、単にその場に絶対的な安心感があるからだろうと思う。
安心してそこにいられるから、何も考えずに何かができる。
その結果全力出してしまえるのだろうと思う。

そう思えば、似たような感覚で全力出しきれた感があったのが、4年前のODNJ年次大会でグラレコしたときで、今でもそれが自分のグラレコで1番好きなくらい。
そのときも何も考えずにただ描いていて、そうできる場だった。
私が安心していられる空間と人たち。

全力でやりきれるかって、意思の力だけでなくて、安心できる場があるかどうかではないかと思う。
安心できるから自由にいれる。

ただ、安心して自由にいれる場があれば、いつでも安心できるのであれば、自由に力をつかえて全力出し切れるのかもしれないな。

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