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支援できる自信がない人の方が人の支援に向いている。

先日話していた方が、キャリコン資格持ってるのすごいねと言ってくれて、資格くらいその人も取れそうなのにと思って驚いた。
話を聞いていたら、キャリコン受けてみようかと思って、テキストを見てみたら、なんか軽々しく受けたらだめだなぁと思ってやめたという。

話聞くのがうまい方だし、フラットに見てくれる感じがあるし(少なくとも年齢や立場で下に見る感じがまったくない)、向いてる気がするけどなと思いつつ話を聞いていたら。
「人への支援」ということについて、軽い気持ちではできない、もっと真摯に向き合わなければ、というようなことらしい。

逆に、そういう風に思う人こそ向いてると思うんだけどなぁ。
キャリコン楽勝、みたいに見てる人は怖くない?

キャリアコンサルタント資格の取得が、国としても推奨するようになって、だからなのか、資格とっておけばセカンドキャリアで有利だし、くらいで取る人もよく聞く。
まぁ有利なのかもしれないけど、資格がほしいから取りました!っていうのは、その人のためであってクライアントへの想いはないので、個人的にはそう宣言してる人のキャリア相談は受けたくないかも。
もちろん、学ぶ上でいろいろ知ってクライアントへの想いが生まれていたりもするかもしれないけど、できたらそういう想いの方を語ってほしいなぁと思う。
(というか、資格がほしい、就職のため、って聞いたクライアントになるかもしれない人がどう思うかって視点がないのがどうなん?って気がしてしまう。)

マネージャーを経験して人材育成への関心が高まったり、組織を離れるにあたって後進育成への思いが高まったりして、という方もよく見る。
育成への想いは強いけど、でもその中には、自分が導いてあげるというような、マネージャーのときの意識のままだなぁというような方もいる。
何かを「してあげる」力が、自分にあると思っている人。
その力で、自分より下の人に「してあげたい」人。

人への支援の想いが強い人でも、結局自分の承認欲求のためになってしまっている人も見る。
支援したら感謝されないと満足できない人。
なんなら、感謝されたり、喜ばれたりするために、クライアントに合わせて(さすがに合わせずにはしないけど)ほんのりクライアントの求めそうなやりとりに持ち込む人もいる。

実際、私自身が、キャリコン取るときにそんなに人への支援の重さは考えていなかったと思う。

キャリコンに興味を持ったきっかけは、自分がキャリア理論を学んだり、キャリアコンサルティング受けたりしたところからだ。
もっと若いうちに知ってたらよかったなと思ったから、そのよさを伝えたいと思ったし、キャリアを考えるとか相談することがもっと広まればいいと思った。
それはキャリコンにならなくてもできることではあって、セミナー招致という形でやっていたつもりで。
その後資格を取ろうとしたのはやりたい仕事のためというのが動機という、自分のためなのだった。
資格のための勉強は気軽にはじめてしまったので、資格取って相談に乗れるとなってから支援することに対しての責任の重さ怖さを感じたかもしれない。

でも、その重さや怖さには慣れないし、だから勉強したり体験したりをやめられないと思う。

だから余計に、すでに対人支援の責任の重さをわかっている人なら、支援することに向いているのではないかと思う。

というか、軽々しくは感じてなくても、支援をできるという自信がある方が私は怖いように思う。
自信は慢心につながりやすいし、そもそも「支援できる」という意識って上からだなぁと思ってしまうし。

やっぱり、すごいなぁと思う人は謙虚で向上心があって常に学び続けているように見えるし、自分もそうありたいと思う。

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