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私が留学しようと思った根本理由を改めて考える

今朝ふっと、Instagramを見たのだけど
友達の今年の抱負を見て
「そういえば、私はどうしてカナダに来ようと思ったんだろう」
という気持ちになった。

朝は時間がなかったので、それを文字にすることはできなかったのだけど
この時間になっても「今の気持ちを残しておきたい」という気持ちがあるので
それについて、ちょっと書いておこうと思う。

多分私が「留学したい」と思った一番の理由は
日本以外の国で暮らしたかったからでも
ITの勉強をしたかったからでも
もちろん、カナダが好きだったからでもなくて
ただ「英語ができれば、仕事の選択肢が増えて、もっと自分の好きなことに時間を割けるようになるかな」
と思ったからだった。

じゃあ私の好きなことって何?
ということになるけど、それは完全に「舞台」

社会人になってから初めて舞台に立った時に
集中できなさに愕然とした。

もちろん、仕事に慣れていなかったということもあるけれど
初めて参加する舞台ではなく、勝手も分かっているはずだったのに
全然その世界に入れずに、終演日を迎えた。

それから何度か他の舞台にも立ったけど
学生の頃に比べて本数が減ったにも関わらず、毎回消化不良で
「仕事をしている限り、このままなんとなく舞台を続けていくことしかできないのだろうか」
という気持ちになった。

それがすごく嫌だった。
仕事に生きているような気持ちになった。

だから、もっと自分の好きなことに集中できる方法を考えた。
それが「英語を勉強する」ことだった。
「英語圏のIT企業で働く経験をすること」だった。
そうすることで、仕事に費やす時間を短くしたいという気持ちがあった。

冷静に考えれば、この考えは完全に間違っていたと思う。
私の母は「就職してもその趣味を続けていきたいなら
地方公務員が一番良い」と言っていたのだけど
多分、その通りだったのだと思う。

私にとって「舞台」は飽くまでも趣味で
趣味にしておかないといけない、という気持ちがあって
それよりも「自分だけで生きて行かれる力を身に付けること」
の方に重きを置いた。
その結果、私はSEという仕事を選んだ。

そういう意味では、私の選択は間違っていなかったと思う。
IT技術もその勉強も大嫌いで、優秀なSEになれる人間ではなかったけど
たった3年でも、SEとして仕事をしたことに価値はあったと思う。

でも今になって、やっぱり私にとって一番大切なことは
それではなかったな、と思った。
それが分かっただけでも、ここに来た価値があっただろうか。

本を読んだり、舞台を見たり立ったりすることが好きな私は
多分「言葉」は好きだと思う。
でも、日本語だったら感じ取れる細かい表現の違いを
英語でも感じられるようになるまでは、英語を勉強しようとは思わないだろう。
今のところ私にとって「英語」は、人の心を動かすものではなくて
自分が生きていくための道具でしかない。

結局何が言いたいかというと
「英語を勉強しよう」ということ。
私の目的は「仕事(自分)の選択肢を増やすこと」だから
「日本以外の国で暮らして、良い経験ができた!」
では済まないのだから。

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