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ヴァージニア・ウルフ「オーランド―」(1928)/不運で始めて幸運で終える

10月の激務のご褒美的で9連休。といっても職務上完全に休む訳にはいかず、1日1~2時間は仕事をしているのだけれども。ただこのまとまった休みれがちっとも思ったとおりに過ごせず、その散々な1日が今週の月曜だった。三菱一号館美術館に行ったら休館、食べるのを楽しみにしていたダバ・インディアの海老のレモンバターマサラは夜メニューのみの提供に変更、お土産にしようとしたイデミ・スギノは月曜やすみ。。事前に調べれば回避できたことばかりなものの、続いてしまって気分が落ち込む。極めつけはいつも数分で捕まる渋谷駅からのタクシーが15分かかるという・・

次の日は家族で蔵前のハンバーガーを食べに。13:30 に着くと、これが思っていた以上のすごい行列で、その次の予定、15時までの上野の科学博物館に着く予定に間に合いそうもない。ただせっかく来たしと列に並び、そして品物を受け取ったのが14:40・・・ここまで待って、イマイチだったら・・ありえる・・私は今ついてないし・・・が、ハンバーガーは今までのベストを更新するくらい好みの味で大変美味しかった。また遅刻していった科学博物館も快く入れてくれ(助かった!)子も楽しそうだった。

そしてその翌日、水曜日。美術館は無事に入ることができ、好みの画家もみつけ、そして極めつけは欲しいと思っていた手袋が手に入った。インスタで見かけて気に入って、だけどお得意様じゃないと出てこないんじゃないかなあと思っていた手袋。サイズもぴったりで、気分がとても華やいだ。

こうやって振り返ると、月曜の不運は火曜の運勢の上向きを経て水曜の幸運へとつながった。月曜のついてなさは始まりであり序章だったのだ。

そういえば、1週間以上かかってヴァージニア・ウルフの「オーランド―」という本を読んだ。普段文庫本なら2時間ちょっとでさらさら読むのに、これは大したボリュームもないのに5時間以上もかかり、挙句の果てに内容もちっとも面白いと思えず修行のようだった。
ところが後半にかけて、興味深い記述があって、そこを読んだら何だかずいぶん印象が変わり、頭にとても残っている。

人間精神にはあれやこれやーーーやれやれーーーいったいどれほどさまざまな人間が宿っていることになるのだろう?二千と五十二人だという説もある。(中略)
われわれはいろいろな<自分>でできており、それが給仕が片手で捧げ持つ皿のように重なり合っていて、それぞれにお気に入りの場所とか、共感とか、ささやかな約束事や権利を持っているから、どう呼んだところで(名づけようのないのも多いのだが)雨の日でないと来ないもの、緑のカーテンの部屋だけ、ジョーンズ夫人がいない時だけ、ワインをいっぱいおごってあげたら来るーーーとかいう工合なのだ。つまり、人間誰でもそれぞれの経験から多種多様な自分との間に多種多様な条件を作っては増殖していけるわけでーなかには無茶苦茶に変てこでとても活字にできない自分だってあるのです。
ヴァージニア・ウルフ「オーランド―」

この考え方は作家の平野啓一郎さんが提唱している分人主義の話ととても近くて

時を超えて、場所も変えて、同じような発想にたどりつくのが何だかとても面白いなあと感じた。これもまた、前半のつまらなさが後半の面白さを彩った。最後まで読んでとてもよかった。

「苦楽」という言葉がある。苦しみもあれば楽しみもあるということ。ただこの並び順はとても重要だ。苦しみから始まり楽しみで終われば、その苦しみは楽しみのためのスパイスになる。
そして日々は連なっているから始まりは自分で定義することができる。次にまた不運がきてもそれは幸福のはじまり。すると、ずいぶんと見え方が変わる。そんなことを考えた今日だった。


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