見出し画像

Vol.18【霜降り明星・粗品の平常運転に振り回される過激派ヴィーガン的思想の滑稽な批判者達】

私の名前は牧原ナオミです。グーグルピクセルを使っています。

スマホを初めて所持したのが2014年の頃で、その時の機種名はもう既に定かではないが、その時からandroid一択だった(apple社製品はiPadをスマホに先んじて所有していた)。
スマートフォンメーカーは多岐に渡るが、グーグルピクセルを2年前から使用していて漸く自分の中で落ち着いた。自分自身にすごくマッチしているし、何より便利なのがホーム画面に最新記事をピックアップして表示してくれる点だ。
この機能のおかげでネットニュースのチェックには事欠かない。

さてそんな便利な機能を堪能していると、
とあるお笑いの記事が目に飛び込んできた。

記事の内容は割愛するが、最近粗品の言動やライブ中でのネタがネット記事になり、拡散され、批判の的になっている。これを所謂【炎上芸】と表現する人も多い。

ここからは個人の主観全開で筆を進めるが、
そもそも【ディスり芸】【炎上芸】と言われること自体がそもそもおかしいのではないか。この2点の表現は、
『敢えて過激な発言をしてネットニュースに取り上げられ知名度を上げる』
という共通項が前提となるはずだが、
霜降り明星の粗品にそれは一つも当てはまらない。
何故なら本人は別に過激な発言という意識もないだろうし、知名度を上げたくて言っている訳でも無いと推測している。これが粗品という芸人の平常運転だからだ。

粗品のYouTubeチャンネルでは【生涯収支マイナス〇億円くん】というシリーズがある。【粗品の呪い】という言葉は競馬ファンでなくてもどこかでお目にかかったことがあるのではないか。
粗品は毎週自分のYouTubeチャンネルで競馬予想を展開し、アップしている。
その中で、とある馬・・・というかその馬のファンたちに向かって批判を展開する場面がある。

ソダシのファンが痛いせいでソダシの馬券を買いたくない、という内容だが、2023年のヴィクトリアマイルでは遂にソダシ馬券を購入し、馬連を的中させている(上記記事は2022年8月の札幌記念でのもの)

これが粗品である。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。自分に素直なだけなのだ。

だから意図的に過激発言している訳ではないのではないか・・・というのが私の見立てである。

当然それを不快に思う人もいることは承知している。
名指しで【おもんない】と言いのけることは、その対象が好きな人にとっては嫌悪感を抱くのは仕方がない。

しかしそもそもそういうファンを粗品は欲していない。
8割の人間に嫌われても、2割が自分を認めてくれれば良しとする。
この辺り至極尤もな話ではないだろうか。

万人受けするお笑いなどある訳がない。
ディスり芸だって古来から存在する。
【笑点】では歌丸達が五代目円楽に『馬面』と罵声を上げ、
六代目円楽は歌丸に昇天ネタをぶつけまくり、
現代では新加入組の春風亭一之輔と桂宮治がその伝統を引き継ごうとしている。

だが、この一連の流れを批判する記事に私は出会ったことがない。
顔が長くて大きい人やご年配が全員心を痛めていないとは言えない。
だが、笑点メンバーが批判にさらされるような記憶は無い。

これに関しては粗品の場合とは違う、「相手が目の前にいない」ことを理由に反論する余地もあるだろう。私もその反論に抗弁する気はないし、まさにそれがディスり芸の本質だ。相手をディスり、その相手からディスられてやっと成立する。所謂【掛け合い漫才】のようなものだ。

つまり、粗品の発言には対象者が目の前にいない、よってディスり芸も成立しない。タレントに対する批判は【彼のただの感想】なのだ。

また、SNSが普遍的なものとなり、いつどこでどんな発言をしたかも記事になる現代では、仮に批判相手がその場にいなくても、間接的だが情報は容易に入手できる。そこで言われた当事者が言い返せば済むだけの話だし、本気で気を悪くしたのであれば相手にしない、という選択肢もあるのだ。

また、今回の記事の対象者はコムドット、井森美幸、高橋真麻、つるの剛士など芸人ではない人たちだ。しかも発言内容も【面白くない】【楽屋挨拶にはいかない】など、別に対象者の人格そのものを否定する発言でもない。個人の感想と当事者間の関係性でしかないものに、全く無関係の外野が批判するのはお門違いではなかろうか。

ちなみに2021年【霜降り明星のオールナイトニッポン】での熱海が終わった発言も有名だが、これはお笑いを間違えて大変なことになった。これに関しては反論の余地もないし弁解の入り込む隙も無い位NGな発言だが、若さゆえの経験の浅さだろう。同じとは言い難いが粗品はビートたけしにも間違ったツッコミをして場を凍らせたことがある。失敗は積まないと人は成長しないし、その経験が後に生きてくれればと願ってやまない。

少し道が逸れたが、粗品は別に狙って発言もしていない、素直に発言しただけに過ぎないのだ。
粗品に対する批判記事やコメントを見かけるたびに、

【私は肉を食べない、それが動物の為だから。だから肉を食べるあなたは許さない】

というような、ただの個人の思想をあたかも人間の総意で在り正義とするような過激派ヴィーガン思想の持主こそ私は残念に思う。

【私は推しを否定しない、それが私の推しの為だから。だから推しを否定する粗品は許さない】

という思考回路に陥る人は、まずその盲目的思想を改めて、批判の批判がまた人を不快にするという自覚を持ってほしいものである。殺害予告を送るような過激な真似をしでかす前に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?