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【最終話】ちっぽけな私から抜け出して「医者と患者さんの橋渡しをしよう!」と思ってSNSをはじめるまで。#3 東京で味わった孤独と新しい仲間との出会い


私が「子育ての暗黒期」「役立たずな私という無力感」を乗り越え、

今の「自分の発信に自信がもてるようになり、女性の共感をえる」までの「マイストーリー」

お伝えしています。

今回は最終話です。


マイストーリー(全三回)

第一回 :大学病院時代の栄光と影

第二回:お孫さんですか?と言われた子育ての暗黒期

第三回:東京で味わった孤独と新しい仲間との出会い


大学病院勤務中に、結婚、不妊治療、流産、出産を経験し

仙台市内の健診クリニックに勤務。

子供の夜泣きもおさまり、ママ友もでき
順風満帆かに思えた矢先の「転勤話」

マイストーリーはこの後、どうなるのか?

最終話、いよいよスタートします!



第三回:東京で味わった孤独と新しい仲間との出会い



・映画館でひとり泣いた夜



生まれも育ちも東北地方。

山形から仙台に引っ越し、マンションも購入。

このまま、東北の地にどっぷり根をおろし
さあいよいよ、子供の小学校入学!と思った2015年春。

夫が突然、
「ねえ、東京に住むってどう?」と言いだします。


「東京?!・・・東京って遊びに行くのはいいけど
住むとなるとねぇ・・・」


40を過ぎた私にとって、
東京はオシャレなあこがれの街。

遊びに行くところであって、住むところじゃない。

ずっと、そう思っていました。



「東京に転勤したら、どうする?」

「えっ・・・東京?!」

夫から転勤話を持ち掛けられた時
正直、頭が真っ白になりました。

そして

「できれば東京には行かないでほしい」
そう心の中で思いました。



でも…


夫がやりたかった仕事を、東京でやれるなら
このチャンスをみすみす逃す理由はない。


もし、この先、転勤するとなったら
子供の学校のことを考えると、動きづらくなる。

東京に行くなら、今!


そう頭ではわかっていたのですが
心ではそれを受け入れることはできません。

仕事だって順調だし
小学校だって近いし
友達もたくさんできたし

・・・


仙台での生活があまりにも心地よくて、
離れるなんて考えられませんでした。


しかし、7月、転勤が本決まりになります。

ああ、引っ越さなきゃ・・・。


息子が保育園のお泊りでいない夜。
私は一人映画館に行きました。


その時にみた映画が「海街diary」
原作は吉田秋生さんのマンガです。



綾瀬はるかさん
長澤まさみさん
夏帆さん
広瀬すずさん


四人の演技と街の素敵な風景を見ながら

私は一人、口元をハンカチでおさえながら号泣しました。



住み慣れた街を離れ、知らない街に行く不安

友人たちと離れる心細さ

年老いた両親の住む実家から、遠くなることの申し訳なさ


映画を見ながら
これからの生活が、不安で不安でたまりませんでした。


でも、決まったものはしょうがない。

これも、神様が与えた試練なんだ。


私はこの時、東京への引っ越しは「試練」だと思っていました。


・歩けなくなった子供


2015年の夏。

いよいよ東京に引っ越し。

引っ越しの準備は、住む場所、幼稚園探し、全てが大変でした。



幼稚園の年長で、6か月だけ入園を受け入れてくれて
仕事の時は長時間預かってくれる幼稚園は中々ありませんでした。


さらに

「東京に引っ越すなら、小学校受験をさせよう」
という、夫の鶴の一声で、

お受験にチャレンジすることになったのですから、もう大変です。


(この話は長くなるので省略しますが、無謀なスケジュールでした)


そして、引っ越し準備をしているさなか

子供が「足が痛い」と言って歩けなくなります。


どうしても仙台から東京に行かなければいけない用事があった時も、

駅では車いすを借り、他はタクシーで移動するくらい、
痛くて歩けないのです。

骨には異常がなく、自然に治りほっと一安心・・・と思ったのですが


東京に引っ越した後、またもや歩けなくなります。


さすがに二回目となると私も心配になり、整形外科でみてもらいますが、
原因不明


そのころ、息子は新しい幼稚園にいくのを嫌がり、
朝になると「気持ち悪い」と言って泣き出すようになりました。


「じゃあ、休んでいいよ」というと元気になる。
このやりとりを数日繰り返したある日

私はとうとう子供にキレてこう言ってしまったのです。

「あなたが幼稚園にいけないせいで、ママは友達を作ることができない。もう嫌だ」

こんなことを言うつもりはなかったのに・・・
子供だって、新しい環境に慣れずに辛いのに。


そんなことわかっているのに、でも

東京での生活が不安で寂しくて、たまらなかった私は
胸の内を子供に吐き出し、号泣してしまいました。


ああ、私が辛くてさみしいように
息子だって辛くてさみしいんだよね。


息子の体調不良は、私の不安のあらわれ。

私自身が東京の生活を楽しまないと、
息子だって幼稚園に通えない。


号泣して楽になった私は
今まで目をつむって避けていた、

東京での新しい生活を、やっと真っ正面から受け止めて
楽しもうと思えるようになったのでした。




・産婦人科の女医さんって冷たいよね


東京への引っ越しを機に始めたFacebook。

友人との近況報告のために使っていたFacebookでしたが

「親勉(当初は母勉)」を通してたくさんのママたちと出会い
私の世界が徐々に広がり始めます。


初めてお会いする人に
「産婦人科の医者です」と自己紹介し
何回かお会いするようになると

あることを聞かれるようになりました。



「子宮頚がんのワクチンって、どうなの?


テレビやインターネットで聞く情報に
お母さん達が迷っている。

専門家に聞きたいのに、聞けないで不安になっている、
ということを、その時、目の当たりにします。


さらに、小学校のママ友から

「こんなことを言うのもなんだけど
産婦人科の女医さんって、なんか冷たいよね」



そう言われた時は、ショックでした。


私が知っている女医さんは、みんな責任感あふれる方たちばかり。

学会でみかける女医さんも、みんなしっかりした熱意あふれる人達です。


そんな産婦人科の女医は
時として、厳しいことを言うかもしれないけれど

それは、患者さんのためを思ってのこと。

それが「冷たい」とうつっていたのなら
医者と患者さんの間に信頼関係なんて築けない。


私は、同じ産婦人科の女医として
どうしたらいいのだろうか・・・。

モヤモヤする日が始まります。



・患者さんを泣かせてしまった日


そんなある日、健診にきた女性を私が泣かせてしまいます。

その女性は、子宮頚がんの検診で異常があり
他の婦人科のクリニックを受診したところ

そこの医者に
「治らないし、治療法もない」
そう言われたのだそうです。


私はその話を聞き、内心怒りで震えながら
「大丈夫ですよ」と声をかけました。

すると
「妊娠できますか」ときかれたので


「大丈夫ですよ、治るし治療法もあります」

そう言ったとたん、患者さんは泣き出してしまいました。

どういうつもりで、その医者が
そんな言葉を言ったのかはわかりませんが


こんなに患者さんを不安にさせてはいけない。

彼女の心に深い傷を作るようなことは
決して許されることことではない。


彼女のように
誤解や間違った情報に
心を痛めている女性を減らすために

私はどうしたらいい?


自問自答の日々が続きます。


・ちっぽけな私からの卒業



実は、その少し前から
ブログやメルマガで情報を発信していました。


きっかけは
子宮頚がんワクチンについての
正しい情報を伝えたい、
ということでした。


でも

子宮頚がんのことだけではなく



・更年期が不安だ

・生理前の前のイライラをどうにかしたい

・生理痛があるけど、ガマンしている

という悩みを抱えている女性が多くいると知り

私が伝えるべきことは
たくさんあるんだ!と気づくのです。


私は、

医者の味方でも
患者さんの味方でもない

二つを結びつける、架け橋になりたいのです。


いらない検査はやらない
必要な検査だけをする。

薬で治る病気があれば
食事やライフスタイルの改善で治る症状がある。


医者に「なんできたの?」と言われて
すごすごと帰らざるを得なかった
子宮筋腫の方へ

「大丈夫だよ」と、検査や治療を伝えて
明るい未来をみせてあげたい。


「更年期だから、しょうがないよね」
って言われて

一人で家にこもっている女性に

食事や運動やストレス発散の方法、
薬もあるよと伝えて

外に出かける後押しをしたい



子育て、家事、仕事で
生理前にイライラがマックスになって
どうしようもない女性に

それは、ホルモンのせいであって
あなたのせいではない。

セルフケアで整えながら
イライラを解消する方法を探せばいいよって

明るく笑ってあげたい。


そしてそして

婦人科の病気になって
不安で心配になっている人に


今、知る限りの情報をかき集め
大丈夫、治るから応援してるよって
寄り添いたい。



そんな想いが込み上げてきた時

私は「ちっぽけな自分」から
卒業しようと決めたのです。



私の話を必要としてくれる人がいる限り
それを伝えないでいることは「罪」なんだ。




その言葉を教えてくれたのが


鈴木実歩さんでした。


実歩さんが主宰する「マイ・メッセージ~オンライン教材コンテンツマスター講座」を受講し

素晴らしい先生と仲間に出会えたことで
私の進むべき道が見えました。





・私を支えてくれた大切な人達



私が東京にきて
婦人科の情報発信をしたいのにできなくて

「私のやりたいことができない」

そう言って号泣した時。

アウェイクニングアカデミーを主宰する
鈴木よしの先生
「大丈夫」と優しく肩を抱いてくれて

一歩前にすすむ勇気をくれました。



子宮頚がんワクチンの話をしたいのに、できなくてモヤモヤして
夫にやつ当たりをしていた時

小坂めぐみ先生
アウェイクニングを学ぼうよと手をさしのべてくれました。


私がこうして変わったのは

自分の気持ちにとことん向き合うことを学んだから。

小坂先生、麻里さん、恵美さん、みわさん、かつらさんという

素晴らしい仲間に出会えたおかげで
私は本来の私に戻っていくことができました


誰かを嫉妬する自分
不安で前にすすめなくなる自分
八つ当たりしてしまう自分

全部、私の一部です。

そんな私を、優しく見守って励まして
時には、後ろから檄を飛ばしてくれた仲間たち。


今度は私が恩返しをする番です。

私が行動することで、女性に希望の光を届ける事ができるのなら
私は、ただ前に進むだけ。


私のことを必要としている方のところへ
解決法をもって手を差しのべるだけ。

東京に来たのは、決して「試練」なんかじゃなくて、

新しい仲間との出会い
悩める女性に寄り添い、輝かせるためだったんだと
今なら心から思うことができます。


私が応援してもらった分だけ
私もみんなを応援したい。

そのために

私は診察室から飛び出して
女性の悩みを解決していきます!





ちっぽけな私から抜け出して「医者と患者さんの橋渡しをしよう!」と思ってSNSをはじめるまで


これで完結です。

塾も予備校もないど田舎から女医になった私。

山形 → 仙台 → 東京と
活動の場所はかわりましたが

私の根本にあるのは
「医者として困っている人を救いたい」という気持ちです。


病院で診察するだけが、医者の仕事ではない。

より、女性に近い場所で目線で
わかりやすい言葉で伝える女医がいたら


きっと、

病院で働くお医者さんと診察をうける患者さんが
お互いの言いたいことを言えて
ストレスなくコミュニケーションをとることができるのでは

そう思っています。


最終話、お読みいただきありがとうございました。

これからは産婦人科のことについても
note に書いていきたいと思います。


これを読んだ皆さんが
「産婦人科のハードルが少し下がった」

そう思ってくださるよう、私も頑張っていきます。

これからも応援していただけたら嬉しいです。

MAKI


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