ひっつきむしとクラスメイト
おでこにもほっぺにも、Tシャツにも、さらにはカバンにも「くっつきむし(オナモミじゃなくてツヅジの葉っぱだったらしい)」をくっつけて、爆笑している学校帰りの彼(小学一年生)の写真を見ながら、ひとりでニヤニヤしている。
子ども用の車いすに座っている彼は、重度の障害がある。
表情は豊かだけれど、話はできない。食事はペーストにしなければならず、自分一人では移動できない。
そんな彼は、今年一年生。
お姉ちゃんと一緒に地域の小学校に通っている。
私は弁護士として、彼が、地域の小学校に通う環境調整のサポートをしている。
法律が変わり、障害者差別解消法が制定され(来年からは民間事業者による合理的配慮の提供も法的義務に格上げされる)、「インクルーシブ教育」という言葉が盛んに日常に登場するようになっているが(国立市が東京大学と連携し、 原則「すべての子どもが同じ場で学ぶ」を目指すというニュースもあった)、みんなの理解が追いついているとはいえない。
学校現場はもっと追いついていないようだ(少なくとも地域差が大きいようである。学校長の方針によっても全然違う模様)。
充実した設備がある特別支援学校ではなく、地域の小学校を選ぶべきなのか。
そもそも学校は心から受け入れてくれるのか。
我が子の障害を理解してくれるだろうか。危険はないか。
どんな風に授業の時間を過ごすのか。
他の子どもたちや保護者はどう感じるだろうか。
障害が重度であればあるほど、地域の学校を選ぶことには覚悟がいるように思う。
物理的な課題を解決しようとすると莫大なお金が必要だったりすることもある。
「正解」は保護者も分からないし、学校も教育委員会も分からない。弁護士である私だって分からない。
ただ、関われば関わるほど、彼が地域の小学校に通う意味が分かってきたような気はしてきた。
そして、今日、それは確信に変わった。
彼の母からの連絡によると、くっつきむしをつけ(られ)ながら、爆笑して帰宅したらしい彼は、クラスの友だちに「遊び」に誘われたらしい。
約束の日と、その友だちのお母さんが書いてくれた地図をもらって帰ってきたそうだ。
ホントに!?すごいっ!(一年生なんて、「約束」すること自体がすごいと思うけど、親御さんの了解も取り付けてるなんて)
そうか、そうなんだ。
クラスメイトの中で、彼は「教室にいる障害をもった子」ではないのだ。
完全に仲間で、ゲラゲラ笑う面白い友だちなんだ。
だから放課後も遊びたい。
しゃべれるか否かとか、関係ない。
おしゃべりはコミュニケーションの基本だと思っていたけれど、本当は別の方法もあったのか。
子どもたちはそれができるんだ。
自分たちの時代になかった交流がココにはあり、彼らの中に「障害」はない。
私は、感激して、ちょっと泣きそうになり、また写真を見てニヤニヤしている。
そして想像してみる。
彼と彼の友だちが大きくなったころ、どんな社会になっているんだろう。
今とは全く違う、新しい世界が待っているのではないか。
縁のあった彼の課題を一緒に考えることを、自分のライフワークにしようと息巻いていたけれど、その役割はかなり早めに終わるかもしれない。
「弁護士」が彼の周りをウロウロしなくても、彼のたくさんの友だちたちが何の気負いもなく、「社会課題」自体をなくしてしまいそうだ。
私は彼にとって「お母さんの友達の名古屋に住んでるおばちゃん」で、うなぎパイとかしるこサンドとかをもってたまに遊びに来る人。
それでよい。
それが、よい。
名古屋に来てくれたら、味噌煮込みうどんご馳走しよっ。濃いかな…
【今日のしつもん】
未来はどうなっていると思いますか。どうなっていたらうれしいですか。
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