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孤独は「おいしい」 (一人旅と仲間旅・その2)


一人旅は、仲間と共に行くときよりも、「ちょっとした素敵な出会い」のチャンスがより多いと前述した

だけれども、最初にこの他人との触れ合いについて少しばかり強調しすぎてしまったので、ここで一度確認をしておきたいと思う。
覚悟をしておいて欲しいのは、一人旅とはその名のとおり、大抵はずーっとひとりぼっちなのだということだ。ずーーーーっとのときもある。他人との触れ合いは、ひとときのプレゼント。多くは孤独な時間を背負うことになるのだ。
一人で決め、一人で歩き、一人で断り、一人で食べて、一人で寝る。一人で笑い、一人で泣く。

うっかり日本人観光客になかなか会えないような辺境の地に行ってしまった場合は、それこそ筋金入りの孤独だ。長らく日本語を話す相手さえない。
でも、だってそれが一人旅なんだもーん、と覚悟してほしい。

会話する相手がいないとなると、話し相手は自分だけ。でも実は、別の言い方をすると、一人旅はそこも「おいしい」。

一人で一日中考えるって、なかなか貴重な経験だ。
風景を見ながらでもいい、そのぶんどんどんと思考が進む。仲間によって話が飛んだり、話題が変わったりしないので、考え事はほとんど邪魔されない。
仲間の考えに影響されずに自分のストレートな感情と向き合える。
良くも悪くも、逃げることなく深まっていく。
その国のことを考えたり、日本のことを考えたり、仕事のことを考えたり、自分の性格のことを考えたり、将来のことを考えたり、貧しさや本当の幸せについて考えたり、お金について考えたり、地球や環境についてちょろっと考えてみたり、好きな人について考えたり。とにかくぼんやり、あるいは黙々と考える時間があるのが一人旅だ。
寂しさの反動で、気になる人への思いが深まっちゃったりして、妄想が行きすぎるのも一人旅。

もちろん、自分は独身だから日本でも毎日さんざん一人で考えているよ! 普段から筋金入りのお一人様だよ! というツッコミもあると思う。確かに、私も独身時代は、お一人様で生活していたので、否応もなく思慮深くありましたヨ。
でも、それとはちょっと違うのだ。

とにかく旅の途上は非日常であるからして、予想外のことばかり。普段はあまり意識しなかった自分の弱さも強さも晒される。フォローしてくれる仲間がいないのだから、本当にダメなところが、頼りになるところがよくわかる。そこから浮かび上がってくる、日本のことや自分のことを一人でじっくり考えるなんて、なかなか得難い貴重な時間ではないだろうか。

また、「一人旅は、景色などに感動したり、美味しいものを食べたときに、それを分かち合う仲間がいないのがイヤ」という意見も多い。確かにすばらしい景色や光景に出遭ったとしても、一人だと静かに受け止めるしか術がない。

しかし私は思うのだ。
伝えるべき誰かが隣にいないのだから、感動は昇華されることなく静かに心の底に降り積もっていく。言葉になってすぐに口から空気に溶け出さないぶん、澱(おり)のように積もった想いはゆっくりと体の中で発酵して熟成し、さらに大きなエネルギーになっていく。

そのパワーはきっと何かの原動力になる。
私の場合も、実際にそうだった。誰もがこんなふうに文書を書けというのではない。でも仕事というのは、すべてが社会に対する何かの表現だ。君の中にあるものがカタチとなって外に表されるものだ。

営業でもいい、介護でもいい、歌を作るのでも、毎日キッチンに立つのでもいい。心の底から湧く熱意の源泉になるのであれば、なんだっていいのだ。誰の言葉にも影響されない、自分だけの感動や思索は、積もり積もってずっと深みと凄みをもってどこか別の何かで、たとえば生活や仕事のどこかで。そして自分の生き様へと確実に反映されていくのだ。
そう、私は信じている。



ここまで読んでくれただけで、うれしいです! ありがとうございました❤️