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それ愛なのか、ブーメランか。


ホワイトデーに息子から「ロッテ パイの実」をもらったって、浮かれておいてなんなんですが。
ホワイトデーって日本特有だよなぁと思う。

これは「思いやり」という気持ちにも関係する、日本人の心の機微かとも思うのだが。きっちり「返礼の日」を設けちゃったものだから、律儀というか義理堅いというか。……でもそれってどうなの。
私だったら本命男子から、「好きでもないけど先月チョコくれたから、はい、ありがとう」と返されるチョコって切ない気がする。でも実際のところは、きっとそんなチョコでも嬉しいのだから、恋心はさらに救いようもないのだが(女性陣からも廃止の声は上がらないのでしょう)。

チョコに限らず皆さんは、この自分が与えた好意のお返しは「好き」で返ってきているのか、ただの「ブーメラン」なのか、不安になることはない? 私はある。


以前「愛は天下の回りもの。半返しに問う」にも書いたけれども、日本人は同じ分量で恩をきっちり打ち返すという技に長けていると思う。
半返しという文化も日本特有だ。遺族を失って悲しんでいる友人に「少しでも足しにして欲しい」とお香典を渡したり、「学校生活がんばれ」と子ども宛に入学祝いを送ったら、半額分の品物やカタログが返ってきたりする。これって何なの?
「あれれれ。そんなつもりではないんだけどな」と、いつも一抹の寂しさを感じる。心を込めて送ったあの1万円はどこに。実際は5千円あげたことになるのか。1万円あげたかったら2万円渡すべきなのか。違うだろう……と思うのだ。
そういう私も返しましたよ。喪主をやったときは返したし、いただいた結婚祝いも半分返した。出産祝いもね。さすがに、もらい倒すという度胸は到底私にはなかった。

先ほどウィキで見てみたら、ホワイトデーは中国や台湾、韓国などにも伝わったらしい。おお、儒教の国々よ。要するに「義」を重んじる訳ですな(日本の儀と中国・韓国の儀は少し違うようだけど)。

さらには「義理」という言葉を辞書で調べると「村社会における相互関係を維持するために定められた行為」とある訳で、お返しは、まさにムラ社会の掟なのである。それに反すると「あいつはチョコあげたのに、なーんも返してくれない! ケチ!」と触れ歩かれてしまい、社会的に支障をきたすわけですね。


誰かのお子さんをお泊まりでお預かりしたら、翌週その家のお泊まり会に自分の子が誘われるとか(普段から、そんなことしそうなおうちではない)。成長してもう着れなくなった服をその家の小さい子あげたら、後日何かすごいお菓子をもらったりとか。
とくにムラ社会だった幼稚園ママ界では、ブーメランというか、オウム返しというか、鬼のレシーブを打ち返してくる人が多かった。心の天秤できっちり同量、過不足ないように返してくるのだ。

何も考えず好意でやったんだけれども、こんなふうにすぐ返ってきてしまって、むしろあちらにご迷惑だったかな……って思うことも多々ある。
そもそも誰かにgiveするときは、見返りなど考えないのがいいのだけれど、結局は返礼が来てしまうかもと考えると、手が止まることも多い。

私が思うに、気持ちのいいお返しって、ちょっとズラすのがコツ。
「この奢っていただいたご恩は、後輩に返します」だとか、
「ありがとう。あなたに何かあったら、今度は私も手を貸すね」だとか。
ズラすのは時間だったり、お返しの種類だったり。何かをやってもらったら、まずお礼を言う。そしてその感謝の気持ちは別の機会のときに別の形でヒョイっと返すのが好き。来た球をどストレートに素早く打ち返すのではなくて、変化球をつけておやっという瞬間にひょいと打つ。あるいは相手に打ち返さずに、社会に廻すのもいいと思う。
そういうほうが粋な気がする。

なので、恋人同士ならいざ知らず。返礼前提の日本のバレンタインはなんだかどっしり重いし、ホワイトデーは愛というか義務感が強い感じがして、スマートには感じられないのだ。


それにしても……。私も仕事で相当疲れていたのでしょうか。食べ終わった「パイの実」の空き箱を危うく大事に保存しそうになってしまいました。
はっ、ヤバイヤバイ。これヤバイ母。それこそ完全にアウトだわ。

 


ここまで読んでくれただけで、うれしいです! ありがとうございました❤️