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スケープゴート


「あ、この会社。ロゴ変えた」
と旦那さんは職業柄、よくそんなことを言う。
彼はエディトリアルデザイナーなので、ロゴや書体にもんのすごくうるさい(なので、うっかりロゴ入りTシャツなんかプレゼントできない)。いろんな物事を画像で暗記しているから、ロゴなどが変化したときには誰よりも敏感に反応する。

そんな彼は言う。
「ロゴが変わるっていうのは、たいてい会社が落ち目になってきたサインなんだよね」と。

なるほど。そこで特に思い当たるのが、JALだ。
昔からある鶴のマーク(鶴丸)が廃止され、JALという文字の上に赤と銀の「ノ」のようなグラフィックが入ったマークに変わったのを覚えているだろうか。「ノ」のロゴに変えたのち、JALはほどなくして倒産の憂き目にあい、企業再生支援機構に「助けてくれぃ」と泣きついた。その後、機構の介入があってなんとか会社が無事に更生した折に、また昔の鶴丸マークに戻って今に至るのだ。
JALにいた友だちは、「あの『ノ』のマーク。鉈(ナタ)を振って血が流れたみたいなイメージで気味が悪いって、当初から社内でよく言ってたんだよね……」と話していたっけ(実際その後、リストラや給与削減など、いろいろあった)。

でも確かに、雑誌なども思い返せばそうだ。
部数が落ちてくると、なぜだか編集長たちは「表紙のデザインを変えよう」だとか「表紙のロゴを変えよう」だとか「なんならデザイナーを取り替えよう」だとか言い出す。
イメージチェンジをして、心機一転、リニューアル感を出したいのだろう。
しかし、私はいつも思う。つまらないから結局は売れないのだ。どうして、まず表面だけを変えて手を打ったつもりでいるのかな、と。
時代とズレてきているから、マンネリ化して気持ちが入っていないから……など検討する要素はたくさんあるはずなのに。なぜ、まずロゴから着手する?
編集会議で根本的な問題を解決しようという話よりも、「またか」と言いたくなるぐらい表紙のイメージやロゴを変えよう、という話のほうが活発に飛び出すのだ。
そういうとばっちりにまず合うのはデザイナーなので、旦那さんの「ロゴの変更→業績不振」という公式が出来上がったのだと思う。


以前、小さな出版社で仕事をしていたことがある。
月に数冊の月刊誌を出していたところなのだが、どうやらその会社の業績が大きく落ちているのを、私も肌で感じていた。
もちろんお約束通り、いくつかの雑誌の表紙やロゴは変更になった。しかしそれでも雑誌は売れない(当たり前だ)。
そこで、各編集長レベルや幹部たちが集まって、何やらしょっちゅう会議をしていたのを覚えている。長時間の(無駄そうな)会議はたまに声が漏れ聞こえることがあるのだが、なんの話をしているかというと、気に入らない社員たちの扱いについてだったり、取引先を変更しようかと叩いていたりするのだ。
もちろん自分が幹部として会議に出たわけでも、すべての話を立ち聞きしたわけでもないのだが、「またその話?」と思った印象があるから、一度や二度ではないはずだ。
そのとき思った。
悲しい哉、大人たちが揃いも揃ってスケープゴートを探しているのである。
やること、今、そこ? また集まって、またそれ?
案の定その会社はほどなくして潰れた。

そう。人は、何かとても大きなストレスがかかっているとき。
表面的なことだけを追求したり、スケープゴートを探し出してそれを叩いたりして、気分を晴らしたり、何かをやった気になっている。
なかなか核心に辿り着こうとしない。
まるで試験前に部屋を片付け始めるように、本丸に着手しないのだ。


今思えば、私も覚えがある。
2人の乳幼児を育てていて、あまりにストレスフルだったとき。
我が家へよく将来の夢を語りにくる、大学時代からの友だちがいた。しかし、なかなかその会社を辞めて、新たな一歩を踏み出さない。今いる会社の文句ばかりを延々垂れ流して帰って行くのだ。その人は新卒からその会社にいるので、十年近く同じ文句をずっと私に言っていることになる。そして、同時にああしたい、こうしたいと将来の夢も語る。私にアドバイスももらいにくる。
「まずは行動を起こさなきゃ」と私が言い、「本当にそうだよね。頑張る」と言って帰るのだが、結局少しも動かない。
結果、私はその人が帰った後に旦那さんに「もう、愚痴も聞き飽きたよ」とか「なんで動かないのかわからない」、ああすればいいのに、こうすればいいのにと、その人の愚痴をずっと言っていたのだ。ずっと言っていた。折あるごとに、ずっと。

でも、それは私のスケープゴートだった。ちょっと私も、育児ストレスでおかしかった。
動かない友人など、放っておけばいいのだ。その人は、私に愚痴を言っているだけで、案外すっきりと毎朝出勤しているのかもしれない。動かないのはその人の問題で、私は話を聞くまでが関われる限界なのだ。それが嫌なら、来訪を断ればいいのだ。
私は、私の立ち行かない日常のストレスを、その友だちの愚痴を言うことで晴らしていたのだと思う。「夢を叶えればいいのに」と、何か進歩的なことを言ったふりをして、自分の問題から目をそらしていた。
そう。私は、そんなに毎日が苦しいのなら、子どもを預けて数時間でも働きに出たり、一時ストップしていた編集の仕事でも再開すればよかったのだ。確かに当時から、保育所に空きがないという現実はあったが、とりあえず何も行動も起こさずに、友だちの愚痴ばかり言っていた私はかなり問題だったな、と今となっては思う。

人は、自分が問題を抱えていて、その核心から目をそらしているときは、周囲や他人のことが気になってしょうがない。
なぜなら自らの問題を解決したり、自分の本心に向き合うというのは、本当に重く苦しい行為なのだ。そこから目をそらすスケープゴートが欲しい。

現実的にさほど重大な害があるわけでもないのに、他人が気になってしょうがないとき。ことあるごとに特定の人の言動が気になって仕方がないときなどは、早くその考えを手放すことだ。
私はそんなとき、自分自身に何か目をそらしている問題はないか、問いただすことにしている。本当は、他人のことをうつらうつら考えている暇など、ないはずなのだ。
そう。大事な試験があるというのに、部屋の散らかりを気にし出したり、模様替えなどをしている場合ではないのだ。


↑ 間違うて、羊描いてしまった! これ、スケープシープ!

ここまで読んでくれただけで、うれしいです! ありがとうございました❤️