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家での存在意義

どうも!
不登校サバイバー
Welbeの平田真己です。

今日は
不登校状態のとき私が何に家での存在意義を見出していたか
について書いていこうと思います。

学校に行けなかったあいだ
家のことは全て私がやっていました。

掃除、洗濯、炊事、片付け・・・

時間を持て余していた
何か体を動かしたかった
ということもありますが
一番の理由は

家での存在意義

が必要だったからです。

学校に行っていない
ということで親に迷惑をかけている。
「普通」ならできることができない。
こんなダメダメな状態では家にいられない。
何か家にいていい理由がほしい。
何か役に立つことをしていなければここにはいられない。

当時の私は
これらの強迫観念ともいえるような思いを持っていました。

学校に行けない私が家にいることは
家族にとってマイナスにしかならない。
事実、学校に行けなくなってから
家族の雰囲気が悪くなった。
ただ家にいるだけではダメだ。
何か家族のためになることをやらなければ。

とにかく
家での存在意義がほしかった。
ただいるだけではダメだと思っていた。

「家事をやる」ことが
私が家にいていい理由だったのです。

なので
気持ちは家政婦でした。

私の意思は関係ない。
私の役割を果たすだけ。
そうでなければこの家にいられない。
むしろお荷物だ。いないほうがマシ。
家族に迷惑をかけるだけ。

今、こうして書いていてとても辛いです。
自分で自分の人権を剥奪していた。
自分が一番自分を貶めていた。

両親はそんなこと言っていないのに
勝手にそう思い込んでいたのです。

ほんとこころが麻痺していたんだなぁ…

余談ですが
この家事期間で実感したこと
それは
世の主婦・主夫の憂いです。

掃除した直後に食べカスを落とされたときのえもいわれぬ怒り
父親が食後にお菓子を食べだしたときの悲しみと怒りとやるせなさとがないまぜになった感情
自分はなんもやらんくせに文句だけ言ってくる家族に対する憤り

家のことをやってくれているみなさん
ほんとうにありがとうございます。

不登校もそうですが
当事者にならないとわからない気持ちがあることを身をもって体感した家事期間でした。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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