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自分を正当化すること

自分を正当化しない人なんて、いるのでしょうか。
「自分を正当化すること」自体は責められるべきでないし、
基本的人権の一つと言えるのではないかと思います。

実際には、自分の人格は複数あって(というより無数にあるのかもしれません)、
互いに矛盾したり葛藤している場合も少なくないでしょう。
複数あるうちの特定の人格だけを正当化している場面が、現実には多いような気がします。
ここでは、そのような場面も「自分を正当化すること」の中に含んで考えたいと思います。

自分の人格のすべてを一切、正当化しない人。
・・・そんな人に、私は出会ったことがありません。
実際には、まったく居ないわけではないのかもしれません。
しかし、私には想像がつきません。
正当化できなければ、生きることも死ぬことさえもできなくなってしまいますから。

強いて言えば、何らかの原因やきっかけにより、
何も感じず、何も考えない状態にある人は、
そもそも「自分を正当化すること」自体が不可能、という場合ならあるでしょう。

そうした意識障害のような場合を除き、
自分を少しも正当化しない人なんて、いるはずがないと思います。
だからこそ、
「自分を正当化すること」自体は責められるべきでないし、
責めてはいけない、と私は思っています。

責められるべきは、誰か特定の個人ではなく、
その人が主張している「内容そのもの」のほうでしょう。
個人は、あくまでも「内容そのもの」を語る媒体に過ぎません。
媒体は、本体ではありません。
媒体をすべて無くせば本体は表面化できなくなることは事実ですが、
それは本体そのものを退治したことにはなりません。

今、私たち個人同士が対立し争っているような場面が
あまりにも多過ぎるように見受けられます。
そうではなく、個人がそれぞれ代弁している「内容そのもの」と対峙していく方向に
今からでもシフトしていくことはできないものでしょうか。

「おまえ、何を言っているの?」
と思われるかもしれません。
思われても私は言い続けます。

とても大切なことだ、と強く感じているからです。

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