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『国家』(プラトン著)10巻
最後の最後で臨死体験の話が出て来た。しかし、それは死後の裁きとフリーダムな輪廻転生がある、インド哲学に近いものであり、近代スピリチュアリズムとはかなり相違点がある。
その前にまず、魂は不滅であることを論証で証明するのであるが、これに問題がある。
というのも、どんな物質に悪が加えられても、それが消滅することはない。たとえば、石に打撃を加えて破壊しても、欠片が永遠に残るのであり、消滅するのではない
『国家』(プラトン著)9巻
欲望、快楽には3種類ある。知識(真理)を学ぶことと、勝利(名誉)を得ることと、富(利益)を得ることである。
このうち、名誉と利益は苦痛を解決し、ニュートラルの状態に戻すだけで、真の快楽ではない。純粋な快楽と言えるのは不変の真理を学ぶことである。
多くの者は偽の快楽に操られ、踊らされているだけである。真に安定しているのは愛知者(哲学者)だけだ。
偽の快楽に操られる独裁者は国民を不幸にする。偽の
『国家』(プラトン著)8巻
国家体制について議論された。
国家には4種類ある。
名誉支配制、寡頭制(金持ちが権力を握ること)、民主制、独裁制である。
プラトンはこのすべてがダメだと言う。
名誉支配制とは、最初は優秀者支配制だったのであるが(ここで言う優秀者とは、プラトンが理想とする、たとえば哲学者なのであろう)、それが指名する後継者による支配である。これは、後継者が優秀者とは限らないのでいずれ破綻する。
寡頭制は、
『国家』(プラトン著)6巻
著者が、国家を統べるべき存在であると言うところの、哲学者とはどんな存在なのか。
哲学者とは愛知者である。知識にもいろいろある。俗の技術に関することは哲学者に関わる知識ではない。
イデア(概念)にはピラミッド型の階層がある。事象それ自体、事象を称するごく狭い概念、もっと広い概念、究極の概念などと段階を経ていく。そして、哲学者とは恒久不変の究極の概念を知ろうとする者である。それは神的秩序である。
『国家』(プラトン著)5巻
女性や子供の立ち位置について考察された。
男は私有財産を持ってはならない。そこで、女性や子供もそのように扱ってはならない。つまり、プラトンにおいて、現代における核家族の概念は否定されている。誰か一個人の囲い込みによって存在するのではなく、公共の関係性、すなわち、みんなの妻であり、みんなの子供でなければならない。
みんなが家族であれば、他人であることによるいさかいがなくなる。
女性の職場進出、
『国家』(プラトン著)4巻
一部の人間の幸福ではなく、最大多数の幸福を求めるのが正義であり、国家の目標すべきところだ。偏った富の配分は不正だ。
良い国家のためには国民全員が私有財産のようなものを一切持たず、国全体のために奉仕しなければならない。それが全国民の幸福につながる。
この節制主義がプラトンの禁欲性、プラトニックという言葉となって表れているのだろう。
良い国家には知恵、勇気、節制、正義がある。
良い国家を作るに
『国家』(プラトン著)3巻
引き続き、ホメロスなどが神を人間性に貶めているが、それが間違っていると主張する。
その根拠は、現実的なものでなく、功利主義的に好ましい国家を形成するために神はこうでなければならぬ、といったものである。それは戦士が勇敢に死ぬためには、ハデス(冥界)がそれほど恐ろしいものではないと思わせなければならない、などといった都合で決定されており、なんらの信憑性もない。
次に、「いかに語るべきか」という議論
『国家』(プラトン著)2巻
対論者はグラウコンとアデイマントスに移る。これは最初からプラトンと冷静な議論をしていた弟子にあたる人物だろう。
不正な者が偽善のために正義を装っていた場合、誰にもそれは見抜けないのではないか。その時、世間が言うには、不正な者はより狡猾に、正義な者よりうまく立ち回り、自分の利益について有利になり、より得になるのだ。
そして正義と思われていた人物は、ほとんどみな、社会的制約によってしぶしぶそれをや
『国家』(プラトン著)1巻
プラトン『国家』は岩波文庫の上下巻として出ているが、実態は10巻である。1冊に5巻分収録されている。
神秘主義の研究のために読むことになったが、1巻づつ内容を要約していこう。
1巻では不正が正義より強く、利益になるかどうかが議論されている。つまり、「強いものが正義(になる)、それは本当は不正なのでは?」という議題だ。それに対してソクラテス(プラトン)は、正義が不正より強く、また利益になることを