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合理的に生きようとすることを卑怯だと思う人間

合理的に生きようとすることを卑怯だと思う人間は、知性の低い社会に多い。自分が常識だと思い込んでいる何かを疑うことなく、これを盲信している。

そこから逸脱しようとする人間の足を引っ張る。つまり、資本主義の否定だ。

その者は考えない。堕落した者だ。

その者は、自分は正当に頑張っていると思っている。肉体的にだ。そして、楽な方法を思いつき実行する者を否定して排除しようとする。

肉体的に正当な頑張りをしているから、自分が堕落していることを知らない。理知的に自分を疑うということを怠る。

たとえば、職場まで徒歩と電車にキックボードを加えてみようとすると、「常識外れだ」と怒る者。社会的に問題ない扱い方をしているかどうかは関係ない。電車なら徒歩が絶対だ、それ以外認めない、とする者。

その者にそう言う権利も資格もない。本人はそれを分かっている。そこで、陰湿なイジメを創出して「出る杭」を打つのだ。

自分が肉体的にこの条件でこれだけ働いているから、他の者も平等にこの条件でやらなければならない、とする者。

この者の問題点は、社会の進歩を停滞させることと、肉体的個性の否定にある。社会の進歩とは、もちろん科学技術で肉体を楽にすることだ。たとえば、蒸気機関を発明しなければ徒歩だ。

この者は徒歩の自分を保存して、蒸気機関を卑怯だと言う。真に堕落しているのは肉体の痛みを伴えば良しとし、合理的に考えない自分の方なのに。この者ばかりが構成員だったら、蒸気機関は発明されても使われなかった。いまだに中世だった。この者の問題点は第一にそこである。

肉体的個性の否定とは、要は丈夫で強い自分の水準の肉体しか認めない、それ以下の者、たとえば老齢だったり身体的劣等性を抱えた者を排除するということだ。それはヒトラーの考えだ。障害者が生きるには車椅子だったり杖だったり、その他もろもろの補助具が必要だ。そういったものを、自分の雇用条件の空間に持ち込むことを否定している。

肉体が健常だとしても、人間は誰一人同じ能力の者はいないのに、自分を基準にして、創意工夫を否定する。それはスポーツマンのスポーツのルールを守ろうとする根性だ。そのマイルールに敗れた者は排除されなければならないと思っている。

その排除の仕方は、表立っては出来ないため、陰湿なイジメによる。

こうした人間が、知性的にレベルの低い職場に多い。そして、その根本は指導者のレベルに準ずる。なぜなら、指導者がこの問題を知っている人間なら、合理的に考え行動する者を卑怯だと思う人間の方が先に排除されているからだ。

というわけで、自分を疑い、社会の進歩を願い、もっとよくやるには、と常に考えているような合理的な人間は、知性的にレベルの低い仕事に就いてはいけない。

進歩性を要求されるような職場を選ばなければならない。

だが、日本の多くの組織は進歩を嫌っている。日本が景気低迷、GDP世界ランク降格、いつまでも世界のリードを欧米に譲っているのは、既得権益が現状維持したいからだ。社会の精神が腐っているからだ。根本的に社会主義の精神だからだ。

進歩性を要求される職場はなかなかない。右向け右のスポーツマンが好かれている。それを探り当てることは、砂の中から金を選り抜く作業になるだろう。

あるいは、自分で創出するかだ。錬金術のように。

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