ひとりになる方法をあれこれ考えるけれど、結局、断念する、っていう話です。
人生のサイクルの中で、人恋しくなるシーズンと、人嫌いになるシーズンがあって、それがなんだか、ぐるぐる回ってる。
っていうか、毎日ぐるぐるしている。。。
いや、毎時間。。。毎分。。。毎秒か(笑)
今日の聖書の言葉。
めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。
フィリピの信徒への手紙 2:4-5 新共同訳
人嫌いのシーズンがほんとに煮詰まったときには、どうやったらひとりになれるか、ってことをいろいろ妄想する。
たとえば。。。
柱頭行者になるとか。
これって、むかーし正教会の修行僧が、この世の影響から離脱するために高い柱を立てて、その上に登って生活した、っていうスタイルだ。
柱の上に登ったきり、死ぬまで降りて来なかったらしい。。。
おもしろいのは、柱の高さによって世捨て人度を競い合っていたらしいこと。
7メートルの柱よりも、20メートルの柱の上で生きるほうが、霊性のレベルが高いってことだろうかね。。。
でもねー。。。自分。。。高所恐怖症なんだよね(笑)
なので、これはペケ。妄想は次に飛ぶ。。。
次は、古儀式派の隠遁者になるとか。。。
これは、ロシア正教が改革を行ったとき、それまで二本指で十字を切っていたのを、ギリシャ正教に寄せて三本指で切るようにしたところ、それに反対する人たちが分離して生まれたグループだ。
古いやり方にこだわったから古儀式派と呼ばれるわけだけど、この人たちは当時の政府からスサマジイ弾圧を受けた。なので、シベリアへ散り散りバラバラになって逃げたんだ。
シベリアの森の奥深くにはいまも丸太小屋を作ってひとり祈りに打ち込む古儀式派の隠遁者がいると言われている。
でもねー。。。自分、動物になじめないんだよねー。。。
お友だちになろうと思ってネコに近づくとフーッって毛を逆立てられるし、イヌに近づくとグルルって歯をむかれる。悲しい。。。
だから、もしシベリアの森でヒグマに出会ったら、お友だちになる前にディナーにされちゃうと思う。
なので、これもペケだ。最後に残った妄想の選択肢は。。。
アトス山の修道院に入ること。
ここには、ヘシュキストと呼ばれる修道士たちが、巨岩の上のあちこちに小さな家を建てて、二人ひと組で住んでいる。
なんで二人ひと組かというと、世間から隔絶した場所でひとり祈りに励んでいると、神秘体験とかしておかしくなって「こちら」に戻って来れなくなることがあるかららしい。。。
でも二人ひと組であれば「あれ? 相方、おかしくなってるなー」って気づいて、目を覚まさせて「こちら」に引き戻すことができる、っていうわけ。
しかし、ね。。。
もし二人でいっしょにおかしくなってしまったら、どうするんだろう?
そういうことを考えると、二人ひと組でもなんか不安だよねー。
なので、やっぱり、人嫌いなシーズンを通過して、人恋しいシーズンに戻って行くのが、自分の場合にはいいんだろうなあ、と思う。
いろんなひとに囲まれて、いろんなことを言われながら、いろんな気持ちを経験しながら、あがいたりもがいたりして、いろんなことをやって行く。
それもぜーんぶひっくるめて、自分というものを成しているんじゃないかと思うんだ。
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