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#953 自然に生きる、超自然に生きる、っていう話です。

息を吐くように嘘をつく。。。

っていうのは、絶対になりたくないキャラクターの極北だよねー。

じゃあ、どういうキャラクターを目指したいか、って言うと。。。

息を吐くように善を行う。。。

息を吐くようにひとを赦す。。。

息を吐くようにひとを愛する。。。

あー。なんか、言ってるそばから嘘くさい(笑)

今日の聖書の言葉。

施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
マタイによる福音書 6:3 新共同訳

息を吸ったり吐いたりっていうのは、生命活動の根幹だけど。。。

でも、ふだんは自分の呼吸なんかに意識を向けてないかも。。。

いや。呼吸してることを、ぜーんぜん自覚すらしてないかもしれない。

その、意識していない、ってとこが「自然」なのかなー、って思う。

何も考えず、何も求めず、何も気張らず、何も意識せず。。。

そうでありながら、しかも、ありのままに生きている、呼吸している、ふるまっている。。。

それが、自然に生きてる、ってことなんだろうかねー。

これに対して、じゃあ、自分はだれかに善を行なったり、赦したり、愛したり、ってことをするときに、それを自然に出来ているか、ってことになると。。。

いやー。自然とは、ほど遠い、って思う。

むしろ、ガチンゴチンに自意識に凝り固まっているんじゃないかと思う。

それが証拠にさ。。。

善を行なったのに、悪で返されたら、ピキッ、って額にスジが入るし。。。

赦したのに、裏切られたら、ぐぬぬっ、って血圧が上がるし。。。

愛したのに、無視されたら、カチン、ってアタマに来るし。。。

そういう、ピキッ、ぐぬぬっ、カチン、っていうのは、自意識から来る典型的な反応なんじゃないかと思う。あくまで個人の感想です。諸説あります。

施しをするときは
右の手のすることを
左の手に知らせてはならない

もし、自分でも意識しないうちに善を行なっていて、行うそばからそれをどんどん忘れて行けたら。。。

あるいは、いつのまにか他人を赦していて、何があったかってことさえ思い出せなくなっていたら。。。

さらには、愛しているっていう自覚もなく愛していて、無視されても気づかないぐらいになれたら。。。

それこそ完全なる自然の呼吸だよね。もうね、吸ったり吐いたりしていることさえ、まったく意識に上って来ないような。。。。

でもねー。。。

その「自然」を達成するには、やっぱり「超自然」の助けが必要なんじゃないか、って自分は思う。

てか、絶対にこれって無理じゃん。

なので自分は、イエスという超自然のうちにあらわされた自然の美に憧れて、イエスに祈り、イエスの助けを求める。

その超自然の力によって、自然に生きることができるように、っていうことを願って。

あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。
フィリピの信徒への手紙 2:13 新共同訳

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