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壊れないものと、つながる

かたちあるものは、どんなに大事にしていても、いつか、壊れる日が来るよね。

小学生のとき、学校でいじめられると、家にかえって、机の引き出しから、小さな黒い木の十字架を取り出して、そこに、ほんとうの釘でくぎづけられているコルプス(キリスト像)の悲しそうな顔を、じーっ、と見つめていた。それは、幼稚園の卒業のとき、シスターがみんなにくれたものだ。

小学校に上がって、すぐ無神論者の級友に説き伏せられ、信仰を失ってしまったような、情けない自分だけど、悲しそうなキリストの顔は、自分にとって、たいせつな慰めだった。

ところが、ある日、なんの拍子だか、その十字架が、ポキッと折れてしまったんだ。すごい、ショック。。。直そうとしてみたけど、だめだった。。。

そこからかな。。。かたちあるものに頼ることの空しさを感じるようになったのは。。。だって、大事にしてたって、壊れてしまうんだからね。

今日の聖書の言葉。

肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。
ローマの信徒への手紙 8:6 新共同訳

聖書がいっている「肉」というのは、いろんな解釈の仕方ができるけど、自分は、これは "かたちあるもの" のことを言っているんじゃないか、と思う。

かたちあるものは、愛すれば、愛するほど、壊れていく。。。

と言ってしまうと、なんか、虚無的な感じだけど、でも、おかしみのある話でもあるんだよね。聞いた話だけど、あるお父さんが、大枚はたいて新車を買って、家族のだれにも触らせず、毎日、毎日、ていねいにボディーに磨きをかけていたら、ある日、塗装が、はがれてきてしまった。。。あまりにも磨きすぎたんだ。

あの小さな黒い木の十字架が壊れてからは、自分は、壊れることのない、別の "なにか" を求めるようになったんだと思う。

で、それを、見つけたんだ。

弟子たちに裏切られ、十字架につけられ、完全に壊れて、そして、よみがえったイエス・キリスト。そのキリストと自分との、心と心のつながり。

それを見つけたとき、なんとも言えない安らぎを感じた。その感じは、今も思い出せるし、いまもくりかえし感じている。

それが「霊」なのだろう、と思う。壊れない、朽ちることが無い、けっして無くならない、神と自分との心のつながり。

これは、これだけは、どんなことがあっても、永遠になくならないものだ。。。

イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。
ヘブライ人への手紙 13:8 新共同訳

その安らぎを感じてからは、だんだんではあるけれど、あまり、かたちあるものに対するこだわりを、持たなくなってきた。自分の持ち物、自分の肉体、自分に与えられている仕事や立場、自分とひととのつながり。。。これらは、どれも、時間の経過の中で、かならず変わって行くし、変わるどころか、失われたり、奪われたり、壊れたりすることもある。。。そうなったら、それは、もちろん、悩む。。。

でも、安らぎを取り去られることは、無いよ。それは、壊れないものと、ずっと、つながっていられるから。


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