失敗と言う名の「牛」と共に生きる、失敗の人生のデータベース。
いろんな失敗をやらかして、いままで生きて来たわけだけど。。。
世界には、さらにすごい失敗をやらかして生きているひとたちが、いる。
失敗は、人類の歴史が続く限り、積み重ねられていくのだろうねー。
おもしろいなあ、と思うのは、スマホが世界的に普及したから。。。草原で牛を飼うマサイ族から、ブータンで読経する僧侶、セイウチを仕留めるエスキモーに至るまで。。。いまや、スマホはみんなの必需品。
なので、失敗のシーンがスマホで記録されて拡散する件数が、すっごい増えているよね。
ほんと、想像もつかないような失敗があるもんだなー、って、動画を見ながら、つくづく思う。
今日の聖書の言葉。
神に従う人の父は大いに喜び躍り
知恵ある人の親は、その子によって楽しみを得る。
箴言 23:24 新共同訳
今日の聖書の言葉は、旧約聖書の箴言から。
箴言は、賢人王ソロモンが書いた「知恵の言葉」だとされている。
でも、それは、世界の深遠な真理を告げる、というタイプの知恵と言うより、「失敗のデータベース」っていう感じなんだよね。
いまなら、こういう失敗があるのか! ってことを、 YouTube で知ることができるわけだけど。。。
そういうものがなかった時代には、あらゆる失敗をかき集めたブックを作成して、コミュニティーに回覧してたんだなあ、と思う。
そう考えれば、箴言は、失敗の回覧板、なのかもしれない。
「回覧板を、ちゃーんと読んで、失敗を避けて生きる子どもになりさない。それが、いちばん親孝行なんだからねっ」てことを、今日の聖書の言葉は、言ってるんじゃないだろうか。
神に従う人の父は大いに喜び躍り
知恵ある人の親は、その子によって楽しみを得る
もちろん、失敗する → 学習する → 自分で失敗を繰り返さないようになる、っていうプロセスも有効だと思うけど。。。
ただ、失敗の種類によっては、命を落としかねないわけで。。。
死なないで長生きする、ってことが、生存戦略として重要で、それがイコール親孝行だ、ってことを考えたら、別の方法を選ぶことになる。。。
それが、「失敗のデータベース」を参照して、失敗を体験する前に失敗を回避する、っていう、箴言が推奨する方法なんじゃいかなー、と思う。
このデータベースを作成したソロモンは、自らも積極的にいろんな失敗をして、身をもって失敗の失敗たるゆえんを経験したひとだ。
だから、箴言に書かれている失敗のいくつかは、ソロモン自身の経験を反映していることになる。
でも、まあ、「この部分はオレの失敗」と注釈を入れてるわけではないので、どれがソロモンの実体験かは、想像するしかない。
箴言には相当のボリュームがあるので、読んでると、「うーん。ぜーんぶ回避するって、無理じゃね? 」っていう感じがしなくもない。
牛がいなければ飼い葉桶は清潔だが
豊作をもたらすのは牛の力 *
失敗を完全に回避するには、じーっとしてればいいわけだけど。。。
でも、それじゃあ、人生を生きることには、ならないよね。
だから、失敗のデータベースを参照しながら、失敗の回避に失敗する、という失敗を繰り返しつつ、生きて行く。
こうして、飼い葉おけは、よごれていく。
しかし、神に感謝しよう。
神は、ユダヤのベツレヘムの馬小屋の飼い葉おけのワラの上に、救い主となって、降り立ってくださった。
そうして、この自分の飼い葉おけのなかにも、だ。
註)
* Cf. 箴言 14:4
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?