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永遠の夜明けを待ちながら。。。

聖書アプリ #YouVersion から配信される「今日の聖書の言葉」なんだけど、それについて自分が感じたことを、この一年 note に綴ってきた。

今年のしめくくりとなる聖句は、詩編148編から。

これは、詩人王と呼ばれたダビデが、周囲を敵に囲まれた絶体絶命の状況のなかで、神に救いを求めてささげた祈りの詩編だ。

危機的状況から抜ける道が「みつからない」という、この詩編の感覚は、コロナ禍に見舞われた一年に通じる気がする。

出口が「みつからない」んだよね。。。

ダビデ王が、どれぐらい危機を感じていたかというと *¹。。。

敵はわたしの魂に追い迫り
わたしの命を地に踏みにじり
とこしえの死者と共に
闇に閉ざされた国に
住まわせようとします


わたしの霊はなえ果て
心は胸の中で挫けます

主よ、早く答えてください
わたしの霊は絶え入りそうです

御顔をわたしに隠さないでください
わたしはさながら墓穴に下る者です

そんな、いまにも命を奪われそうな感覚。

だから、彼は自分の魂の状態を、こう表現せざるを得なかった *²。

渇いた大地のようなわたしの魂

これはヤバイ。。。ヤバイよ。。。

今日の聖書の言葉。

朝にはどうか、聞かせてください あなたの慈しみについて
あなたにわたしは依り頼みます。
行くべき道を教えてください
あなたに、わたしの魂は憧れているのです。
詩編 143:8 新共同訳

出口が見えずに暮れて行く今日。。。

でも、夜明けの光とともに、朝はかならずやって来る。

その朝に期待して、ダビデは祈りをささげたんだ。

コロナ禍の恐ろしさとして、ぜんぜん元気にしていたひとが、突然急変して死亡することが指摘されている。

だから、夜、ベッドに入って、自分に「朝」がやってくるかなあ、と考えたとき、もしかしたら、もしかするかもしれない、ということを、覚悟しないわけではない。

でも、クリスチャンである自分は、すべてのひとに「イースターの朝」が、かならず来る、と信じている。

兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。 イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます
テサロニケの信徒への手紙一 4:13-14 新共同訳

十字架につけられ、三日目に復活したイエス・キリスト。

イエスはまるで、深い闇から立ちのぼる、夜明けの太陽みたいだ。なので、聖書はイエスのことを「義の太陽」と呼んでいる *³。

太陽がのぼると、世界から、闇が追い払われる。

イエスが、この世界に、ふたたび到来する日。その「永遠の朝」が来ることを信じて、今日も自分は眠りに着く。

起きている時も、眠っている時も、
神よ、わたしを救い、守ってください。
キリストのうちに いつも目ざめ
平和のうちに いこうことができるように。
アレルヤ
*⁴

註)
*1.  Cf. 詩編 148:3-4, 7
*2.  Cf. 詩編 148:6
*3.  Cf. マラキ 3:20
*4.  『教会の祈り』より「寝る前の祈り」

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