#951 クリスマスのシーズンは、どういう心理的効果を及ぼすのか、っていう話です。
ときどき自分のハートが石みたいに固くなってるなー、って感じることがある。
まあ、ときどきだけどね。。。
そんなふうに心が固くなってしまうのは、あれこれイヤなことが起きたときだ。
それを、ちゃーんと受け止めて、感情的にリリースできればいいんだけどさ。。。
でも、そこに失敗すると、ハートがドシドシ踏み固められて、石みたいになっちゃう。
そうすると、なんだか聖書の言葉を読んでいても、ぜんぜん入って来ない感じになるんだよね。
イカンイカン。。。
いや、遺憾、遺憾か(笑)
今日の聖書の言葉。
今日の聖書の言葉に出て来る「荒れ野で呼びかける声」っていうのは、バプテスマのヨハネのことを指している。
バプテスマのヨハネ。毛皮の衣を着て、ハチミツとイナゴが常食で、荒野に住みながら、毎日叫んでいた、っていう。。。
まあ、ちょっと見るとヤバい感じのひとなんだけど。。。
彼は人々に悔い改めを呼びかけた。
それに対して、なんと、何万人というひとたちが応答して、彼のもとに来たんだ。
バプテスマのヨハネがやったのは、石みたいに固い人々のハートを粉々に砕いて、やわらかくした、ってことだったんじゃないのかなー、って思う。
で、そうやって心をやわらかくされた人たちに対して、彼は何て言ったかというと。。。
ゴメン。オレは救い主じゃあない。救い主は、このひとだ!
って言って、イエスを紹介した、っていう *。
まさにそれゆえにバプテスマのヨハネは「荒れ野で道を備える者」って呼ばれたわけなんだけど。。。
それはつまり、みんなの心をやわらかくして、イエスに出会うための備えをさせた、ってことだったんだよね。
さて。。。
クリスマスが近づいて来た。
ハートが石みたいになっている自分だって、やっぱりクリスマスの準備をしないわけにはいかない。
ツリーをひっぱりだしてきて、飾りつけをする。。。
お店にいって、あのひとの顔、このひとの顔を思い浮かべながら、プレゼントを選ぶ。
それから、クリスマスのレシピをどれにしよう、って、あれこれ考える。
そんなことをやっていると。。。
あー、なんだか不思議だね。固かった心がだんだん、やわらかくなって行く気がする。
それから、おもむろに聖書を開いて、クリスマスに関連する箇所を読んでみる。
そうすると、不思議なことに、聖書の言葉が心にしみ通って来る感じがするんだ。
はい。あくまで主観的な経験です。個人の感想です。
そういう意味で、クリスマスに向かって近づいて行くこのシーズンっていうのは「荒れ野に道を備える者」であるのかもしれないなー、って思った。
その場合の「荒れ野」っていうのは、もちろん、自分のハートのことだ。
註)
* Cf. ヨハネ 1:29-34
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