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くやしくて、うめくとき、思い出すこと

だれもわかってくれない、わたしの苦しみ。。。

。。。というゴスペルが、ある。

こういう歌詞。オリジナルのタイトルは、Nobody knows but Jesus だ。

 だれもわかってくれない
 わたしの苦しみ
 でも、イエスは、わかってくれるよ
 グローリー ハレルヤ

 気分のいい日もあるけれど
 ときどき死にたくなる
 でも、イエスは、わかってくれるよ
 グローリー ハレルヤ

 もう、ずーっと、ずーっと、生きてきた
 でも、まだ、死ねないみたい
 天国に行ったら、待っててよ
 必ず、あとから、行くから

 だれもわかってくれない
 わたしの苦しみ
 でも、イエスは、わかってくれるよ
 グローリー ハレルヤ

ある家庭集会で、聖書のおはなしをする前に、この歌を独唱した。そこには、お嫁さん、お姑さん、小姑さんがいらした。歌がすすむにつれ、お嫁さんが、シクシク泣き出した。。。こっ、この状況で、この歌詞で泣かれるのは、やばい、って思ったんだけど。。。おはなしが終わって、お茶になったら、お嫁さんが「歌を聞いてたら、1週間前に亡くなった愛犬が思い出されて、泣けてきて」と説明してくれて、ホッとした。。。

今日の聖書の言葉。

御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。
ローマ人への手紙 8:26 口語訳

自分の苦しみ。。。日本人は、それを口に出さないで、じっと我慢するように、子どもの頃から、しつけられる。

あまりにつらくて、口にでもしようものなら、「言い方が気に入らない」「言う時と場所をわきまえていない」「だれに向かって言っている?」など、苦しんでいる内容ではなく、伝え方の問題に、すり替えられてしまう。

しょうがないから黙っていると、表情に出てしまうので、こんどは「なんだ、その表情は?」「なんだ、その目は?」と、来るからねー。。。

なので、すべてをあきらめ、やさしい微笑みの仮面をつけ、ひたすら黙って生きている、怒れる日本人が、かなりいるのではないだろうか。最近、日本の子どもの幸福感が、世界順位で下から2番目という調査結果が出たのを知って、やっぱり、そうなのかなあ、と思う。

ほかの国では、小さいころから「自分の気持ちをはっきり言いなさい」と、しつけられるところもある。すごい自己主張の社会のなかで、いかに意見を述べ、ひとを説得するかという、ディベートの練習すら、させられる。だから、何も言わないでいると、イコール、何も問題ない、とみなされちゃう。日本とは、対極のカルチャーだよね。

冒頭に紹介した Nobody knows but Jesus という歌は、そういう自己主張のカルチャーのなかで歌われてきたゴスペルだから、たぶん、その「わかってもらえなさ感」というのは、日本人の想像と違うかもしれない。こういう苦しみなんだ!と声を大にして100回主張して、ぜーんぶ無視された、ぐらいの感じなんじゃないかな。

自分の気持ちなんか、だれも、わかってくれない。。。対極のカルチャーの、あちら側でも、こちら側でも、そういう気分をあじあわされる現実が、存在している。

でも、聖書は言うんだ。いや、わっているひとが、いるよ、って。

そのひとは、「オレは、わかってる!」なんて、自己主張しない。そのひとは、外側から観察しているんではない。あなたの心に入り込んで、あなたの気持ちを、あなたと一緒に経験している。言葉にならないあなたの苦しみを知って、あなたのために、そのひとは、うめいている。

それが、イエス・キリストの御霊だ。

イエスの御霊は、わたしたちの心の中にいて、一緒に苦しみ、そして、祈っている。

どこにも持って行きようのない気持ちを、イエスは、うめきをもって受け止め、それを祈りに変えて、父なる神の耳へと運んでくれる。

くやしくて、うめくとき、自分は思い出す。。。この「うめき」のなかに、いま、イエスがいるんだ。。。その「うめき」をイエスは翻訳して、父なる神に届けてくれているんだ、って。



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