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#952 信じて祈ったら、どうなるの、っていう話です。

心の底から望んでいることが人生でボンボン起きたら、それは素晴らしい人生だなあ、って思うわけだけど。。。

でも、望んでいないことも起きるよね。

てか、ぜんぜん期待していない予想外のことすら起きることがある。

どれぐらい予想外か、って言うと、もうね、これ、オカルト板で報告した方がいいんじゃね、って思うぐらいの出来事が起きたりする。

だから、人生はミステリーだなあ、って思うわけなんだけど。。。

今日の聖書の言葉。

信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。
ヘブライ人への手紙 11:1 新共同訳

自分が一番衝撃的だったのは、お台場の某テレビ局の展望ドームの色だ。

自分の記憶のなかでは、あの展望ドーム、ずーっと銀色だったんだけど。。。

でも、気づいたら、いつのまにか金色になってた(笑)

で、塗り替えたのかなー、って思ってネットで調べたら、なんと当初からずーっと金色だった、ってことがわかった。

これって、自分の記憶といま見ている現実との間に微妙な相違が発生している、っていう、いわゆる「マンデラ効果」だと思うんだけど。。。

いやー。でもねー。この世界にはこんなのはるかに超える上がいるなー、って思った。

これは、ある知り合いから聞いた話なんだけど。。。

知り合いとその友人が御茶ノ水から高尾行きの中央線に乗って、四谷に停車して次は新宿だなー、って思って車窓をながめてたら、さっき通り過ぎた風景が戻って来た。

で、あれっ? って思う間もなく電車が着いたのが御茶ノ水だった、っていう。。。

二人は「えっ? なにこれ?」ってザワついたのに、ほかの乗客たちは別段驚いた様子がない。。。

仕方ないので御茶ノ水で降りて、また高尾行きに乗った、っていう。。。

んなアホな、って思って、その日のダイヤを調べてみたんだけど、中央線が四谷で折り返し運転してた、なんて証拠は見あたらず。。。

まあ、折り返し運転するなら絶対に車内アナウンスするはずだしねー。

これって、やっぱり「世界線」が誰かの意向で変えられてしまった、ってことなんだろうか?

自分も世界もこの現実もコンクリートに決められた路線の上をひたすらまっすぐ進むしかない、っていうのが、常識的な世界観だろうと思うんだけど。。。

でも、実はそうではなくって、誰かの意向が働いたときこの世界は案外自由自在にポイントが切り替わって、突然別のコースを進み始めたり、逆行したり、通ったはずのコースが通ってないことになったり。。。そういうことが、あるんじゃないの? って、ついつい思ってしまう。

ここは、これを強調して言っとかなきゃいけないところだよね ↓↓↓

あくまで個人の感想です。諸説あります。おそらく、てか、絶対に少数意見です。

そういう自分はド文系人間なので、理系っぽいひとが「量子の世界」における量子たちの奇妙なふるまいを熱く語るのを見たり聞いたりすると、へー、すごい、やっぱこの世界って誰かの意向でどんどん変化するんじゃね? って我が意を得た気分になっちゃう。。。

あぶない文系だね(笑)

量子の世界では観測者効果と言われるものが知られていて、量子を観察している当人が「粒子だ」と思って見ると、量子は粒子としてふるまい、逆に「波動だ」と思って見ると、量子は波動としてふるまう、っていうことがわかっているらしい。

それだけじゃあない。観測者が「右のスリットを通る」と思って見ると、量子は右のスリットを通過し、逆に「左のスリットを通る」と思って見ると、量子は左のスリットを通過する、ってこともあるらしい。

こういうのを聞いて、ミクロの話がすぐマクロの世界に通用するみたいに思っちゃうのが、あぶない文系脳の始末に負えないところなんだけど。。。

だけど、最近の研究ではミクロにおける量子のふるまいがマクロのレベルでも起きるらしい、とか、現在における量子のふるまいが過去にまで影響するらしい、っていう研究結果も出ているみたいで。。。

そういうのを見たり聞いたりするにつけ、なんかこう、人生を簡単にあきらめちゃダメなんだなー、って思ったりする。

だってさ、それは、本気になってお祈りすれば変わらないはずのものが変わるかもしれない、ってことじゃん?

いったいだれがそれを願ったのかは知らないけれど、願い方次第では中央線が御茶ノ水から四谷を通ってまた御茶ノ水に着いちゃうみたいなことが起きるかもしれないわけじゃん?

いや。。。べつに。。。中央線が山手線モドキになるような、そんな誰得なことは自分は願わないと思うけど。。。

この世界がいま立たされている窮状を見ると、こんなちっぽけな自分には何もできない、って悲観的な思いになってしまう。

どうせ自分が何かやったところで世界はひとつも変わらない、っていうアパシーに陥ってしまう。。。

でもね。。。

もしかしてもしかしたら、本気で信じて祈ったら、この世界は変わるのかもしれない。

いや、自分ひとり願ったぐらいでは、変わらないかもしれないけれど。。。

でも、自分の願いがこの世界の運営者である「神」のハートに直結していて、自分と神が協働して願うなら、願ったとおりのことが世界に起こるかもしれない。

そういうふうに考えたら、自分が今日、何を願い、何を祈り、何を求めるのか、ってことは、おざなりに考えてちゃダメだなー、って思わされるんだ。

だから、信じて祈ろう。

信仰とは、望んでいる事柄を確信し
見えない事実を確認することです

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